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心の泉《宮司のコラム》

未来はいつも白紙である。

私の大好きな映画「BACK TO THE FUTURE」三部作の最後の博士の言葉です。

「未来はいつも白紙。」

 

神棚のお祀りの仕方など、そういったご相談以外に、たまに人生相談に見えられるお方がいらっしゃいます。

もちろん、「人の道」として私の考えを参考にしていただくことはできますが、霊視等のアドバイスを求められるとき、土地の問題や憑依の問題以外のいわゆる「自分で選択すべきこと」に関してのご相談はお断りしております。

スピリチュアルブームの影響か、とにかく未来を知りたい、未来が安全・平穏であるにはどうすれば良いかという趣旨のご相談が当宮にも増えてまいりました。

 

僭越ながら、一つ、私にアドバイスさせていただけるとしたら、冒頭の言葉をメッセージとして贈ります。

未来に絶対はありません。今の選択の連続が未来を作るからです。

宿命は受け入れるものですが、運命というのは自らが運ぶ命のあり方です。

ご家族のご相談が最も多いですが、家族とは何かをまず考えなければなりません。

一人一人の御霊が肉体を得て、最も成長する場所が家族です。

「家族」という束縛ではなく、寛大な愛と奉仕の精神とを持って、個人個人の御霊が自立して輝けるように励まし合う場でもあります。

価値観が違うのはとても自然なことで、家族の中から「ゆるし合う」精神から「讃え合う」精神へと。そして家族から友人、友人から万人へと広げ育む鍛錬の場だからです。

どちらが正しいか?ではなく、物事の多面性を認め、視野を広げ、調和をとるよう努力していくことに家族として生を受けた価値があると思います。

 

未来は、いつも今の自分が選び、作るもの。

そう理解し、選択肢をたくさん得る為に様々な価値観を認め、思いやり・歩み寄りの精神で視野を広げてください。

そのための試練は、感情を伴うものとして絶えず神々から贈られています。

苦しみというのはチャンスでもあります。お風呂のお湯が滲みるとき、お湯に問題があるのではなくどこかに傷があることが原因であるように、苦しみに感じる本当の心の痛みを自ら向き合い特定して癒すことが重要です。

単に外的な要因の苦しみとして処理するのでなく、自分が何故苦しいのかというところに解決の糸口があります。

そして、互いの個性を輝かせる努力を楽しんでください^^

 

苦労から逃れるためのご相談が多いですが、苦労は神様や自分自身の魂からの贈り物です。

苦と感じる事と、苦と感じる自分の中にある理由と向き合い、少しずつ本来の輝きを覆う包身(つみ)を許し手放していきましょう。

 

 

この記事は実は、昨年に書いて保存していたものです。

「未来はいつも白紙」

決まった未来などなく、常に、私達の「今」から生まれていくものです。

 

この新型コロナウイルスの件にしましても、たくさんの未来があり、実質上の「白紙」でもあります。

 

自然界へも思いやりと歩み寄り、何より感謝で応え、「万物との共存」の文明へと舵を切ることを決意していきましょう。

 

自然界は親心で私達人類を見守り、人類の本来するべき精神的な歩みをサポートしようと、人類の意思を待っています。

 

天災は、「災い転じて福と成す」のが真意であり、悪行への罰ではありません。

 

常に愛情を持って「気付け」と呼びかけ、天災の前には必ず自然界全体で呼びかけてくれています。

稲穂の頭を垂れる方角、花の咲く高さ、草の生え方、木々のざわめき、風の香り、空の様子、水の動き、虫や動物達の動き・・・

人間が自然界に心を寄せれば、必ず気が付くものばかりです。

 

それに気付かず、命を落とすのは天の意思ではありません。

 

 

そろそろ、自然界からの親心に、応えはじめませんか?

厳しい言い方になりますが、

これまで、私達が「文明」と思ってきたものは、ほとんどが自然界への暴力です。

豊かな資源に甘え、節操なく奪っては捨てて汚し、必要以上に奪っては捨てて汚し・・・と繰り返してきました。

 

 

本当に、生き直さなければなりません。

 

 

新型コロナウイルスが私達に教えてくれるものは何でしょうか?

 

人間の都合ではなく、万物との共存の精神で、今一度見つめ直し、

 

明るい未来を作っていきましょう!!

 

 

 


祈りの前には、しなければならないことがあります。

多くの方々が、新型コロナウイルス(COVID-19)の早期収束を心から願っています。

 

その方法は、一つだけ。

 

私達人類が、地球(女神ガイア)の声に、真摯に耳を傾け、自然界も含めた共存共栄の文明を築いていくことに、精神を移行していく他、道はありません。

 

この次に用意されているのは、あらゆる天災、そしてまた新たなウイルス・・・。

 

この新型コロナウイルスの誕生と蔓延を偶然や不幸と捉えるのか、

 

必然のメッセージと捉えて、素直に間違いを改めるのかで、明暗を分けます。

 

 

 

この国固有の信仰であります【神道】は、すべてのもの、事象に神々を見いだしてきました。

【八百万の神】と呼ばれます。

 

 

森羅万象に宿る神々の声に真摯に耳を傾けることこそ、【神道】の真髄であり、

【人類の道徳】であると私は考えています。

 

 

 

 

私達の未来を作るのは、私達自身です。

 

 

 

自然界へ耳も貸さずに、都合の良いことを願い祈っても、聞き届けられることはまずありません。

 

私達への親心によって、すべては起こっているのですからね。

 

 

 

祈る前に、しなければいけないこと。

 

何故、こういうことが起きているのかを、言い訳をせずに、まず真摯に受け止めることです。

 

そして、何をしなければならないのか、自分たちの都合を置いておいて、0からしっかり感じ取り、考えることです。

 

難しければ、理想を立てて、現実に形にするにはどうすれば良いかということに、智恵を絞り合いましょう。

 

その決意、行動が先です。

 

 

それからの祈りこそ意味があることを覚えておいてください。

 

 

こちらの私達が真に乗り越えるものというコラム、長文ですが、是非お読みください。

 

数ヶ月間、校正を繰り返しながらあたためてきた記事です。

 

私達が真に乗り越えるもの

 

 

運良く収束することなどあり得ません。

 

一度感染すれば、そのお方が生き続ける限りこのウイルスは体内にとどまり続け、活動と休息を繰り返して、感染を広げていくからです。

今、無症状であっても、いつまで無症状でいられるかはわかりません。

なぜなら、すべての血管へ感染を広げ、臓器を蝕んでいくウイルスだからです。

 

完全な解決は、万物が、間違いを改めた人間の意思と行動に納得してくださったときに、万物によって地球上から持ち去られるときです。

 

奇跡を起こすか起こさないかは、私達の行動次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は、関連記事です。(コロナ関連ではなく、真意としての関連記事)

 

【平和】は神へ祈るだけのものではなく、自分たちで成し遂げるもの。

 

祈りを忘れず。

 

 


私達が真に乗り越えるもの

連日、数は減少傾向であるものの、たくさんの方々の感染が確認されておりますCOVID-19。

先日、医療従事者のお方がオンラインニュースにコメントを書き込まれていました。

防護服やマスクや手袋などを含む医療に必要な物資が全く足りていないのは周知の事実で、防護服の代用にゴミ袋や雨がっぱ、足カバーなどを用い、完全防備とはほど遠い非常に緊迫した医療現場で、今も休みなく医療に従事されているお方の生のお声です。

 

「防護服を着る瞬間は、恐怖で震え、毎回泣きます。仲間と抱き合い泣くこともたくさんあります。私達の命の保障は誰がしてくれるのか・・・。患者さんの回復が、唯一の心の支え」

・・・本当に身につまされますね。 ———

 

“感染しない” “感染させない” という思いやり

—— この方々を守るには、“感染しない” “感染させない” ことしかありません。

それは、身近な人々、そして今生活を支えてくださっているゴミ収集をしてくださる方々、生活用品を売ってくださる方々、配送業の方々、金融機関の方々を守ることにもなります。

 

ワクチンが出来るまでは、感染確認者数の増減に関わらず、事態は変わりません。

万が一の感染のその一人に、自分や自分の大切な人がなる可能性は、同じです。

政府の発表数は、政治とも大きく絡んでいます。人命を優先せずにオリンピック開催の可能性を捨てきれない限りは、感染確認者数はコントロールされる可能性は以前のようにまた起こり得ます。

数や結果発表とは、常に遅れている過去の情報です。現状でも、明らかに感染症状があるにも関わらず、検査をさせてもらえない方や証明が無いから仕事も休めない方、また、感染していることに本人が気がつかずに外出や交流を続けている方などに関しては、公式発表の「数」には、当然ながら含まれていません。

数が減ったからと気を緩めたり、また逆に必要以上に恐れや苦しみを抱いて、自他ともに責めたりせずに、どうか、引き続きすべての方々へ思いやりを持って、“感染しない” “感染させない” ことへ最大限の努力をしてまいりましょう。

 

ストレス、無力感、経済的不安。皆一緒です。

 

しかし、生きてさえいれば、何は無くとも人生はいつでも新しいスタートを切れます。

やり直さなくて良い。新たに「今」から始めれば良いのです。

 

励まし合って、最善を尽くしていきましょう。

 

私達地球人類が真に乗り越えるもの

さて、今日は、【私達地球人類が真に乗り越えるもの】について、書かせていただきます。

今、たくさんのものと戦っていると思います。

  • 生命の危機への不安
  • 経済的不安
  • 神経をすり減らす生活へのストレス
  • 不自由な生活
  • いつまで続くのかわからない不安
  • 漠然とした不安感

など。

皆さんおそらく一緒だと思います。もちろん私も、その一人です。

 

そこで、あるメッセージを共有したいと思います。———

 

〜 コロナ・ウイルスから人類への手紙 〜

地球は囁きました。でもあなたは耳を貸さなかった。
地球は話しました。でもあなたは聞かなかった。
地球は叫びました。でもあなたは耳を塞いだ。
そして、私は生まれました…。

私はあなたを罰するために生まれたのではありません…。
私はあなたの目を覚ますために生まれたのです…。

地球は助けを求めて叫びました…。
大洪水でもあなたは聞かなかった。
燃え盛る火事でもあなたは聞かなかった。
猛烈なハリケーンでもあなたは聞かなかった。
恐ろしい竜巻でもあなたは聞かなかった。
汚染した水により海の生き物が死んで行く。
警鐘を鳴らして氷山は溶けて行く。
厳しい干ばつ。
そんな時、あなたは地球の声を聞こうとはしなかった。

地球がどれほど悲観的な危機にさらされていてもあなたは聞こうとしなかった。
終わりのない戦争。
終わりのない貪欲さ。
あなたはただ、自分の生活を続けていた。

どれだけの憎しみがそこにあろうと、
毎日何人が殺されようと、
地球があなたに話そうとしていることを心配するより、最新のiPhoneを手に入れることの方が大切だった。

でも今、私はここにいます。
そして、私は世界のその軌道を止めました。
ついにあなたに耳を傾けさせました。

私はあなたに避難を余儀なくさせました。
私はあなたに物質的な考えをやめさせました…。
今、あなたは地球のようになっています。
あなたは自分が生き残ることだけを考えています。

どう感じますか?
地球を燃やして…、
私はあなたに熱を与えました
汚染された地球の空気…、
私はあなたに呼吸への課題を与えました。

地球が毎日弱って行くように、
私はあなたに弱さを与えました。
私はあなたから快適さを取り除きました。
あなたの外出。
あなたが以前は忘れていた地球とその痛み。
そして私は世界を止めました。

そして今…、
中国の空気はきれいになり、
工場は汚染を地球の空気に吐き出さなくなり、
空は澄み切った青色に、
ベニスの水は透明になりイルカを見ることができます。
なぜなら水を汚していたゴンドラを使ってないから。

あなたには、自分の人生で大切なものは何かを考える時間が出来ました。
もう一度言います。
私はあなたを罰しているのではありません…。
私はあなたを目覚めさせるためにここにいるのです。
これが全て終わったら私は去ります…。

どうか、これらの瞬間を覚えておいてください。
地球の声を聞いてください。
あなたの魂の声を聞いてください。
地球を汚さないでください。
争うことをやめてください。
物質的なことに気を取られないでください。
そして、あなたの隣人を愛し始めてください。
地球とその生き物たちを大切にし始めてください。

何故なら、この次、
私はもっと強力になって帰って来るかもしれないから…。

コロナウイルスより

《Coronavirus’ Letter To Humanity》by Vivienne R Reich

 

—— 情報によるとこれは、ヴィヴィアン・R・リーチさんが書かれ発信されたものを、諸外国で翻訳されシェアされたもののようです。

 

奇しくも同時期に、私もまた同じようなメッセージを受け取っていました。

以下に綴ります。

 

万物からのメッセージ

地球人は、この豊かなガイア(地球の本体である魂)の寛大な慈愛に包まれて、人生を歩むことを許されました。

霊的成長のチャンスを万人に与え続けるために。

ガイアの御胸には、人類への施しの意思を同じくした仲間が集います。

植物、動物、微生物、風、水、土、光など、このすべての物質に宿る神々と、目に見えない神々や神使が、地球人類を愛を基準とした人生へ目覚めさせようと集い、あらゆる方法で常時メッセージを投げかけています。

そのガイアの同志の神々である動物の命はもちろんのこと、植物の命まで取らずに済むように、実を食べる植物、またいも類等の根を増やす植物を、食べ物として授けました。(この国では、「由庭稲穂の神勅」として語り継がれておりますね。)

弱肉強食の世界は、人間世界の投影として感情に訴えかけるメッセージであり、人類が命への最低限の思いやりを持つ日がくると、動物達は狩りをやめ、食肉をやめます。

 

一つの命としての最低限の思いやりは食に限りません。

 

波動エネルギーをはじめ、水や土や大気を出来る限り汚さないための努力を(自分の便利さを守った上での利己的な活動や行為などではなく)しなければすぐに浄化(地震・噴火・台風)が起こることもまた、理解しなければなりません。

妬み・不満・不安・攻撃・恨み・悲しみ・怒りなどの感情は、重い波動の連鎖を生み、気持ちや空間を汚染して周囲の人を疲弊させるように、ガイアもそれ以上に疲弊します。

水も、大地も、汚れたままではガイアも病気になって、いずれ弱って命耐えてしまいます。

 

今この瞬間も、万物は、人類の霊的進化を応援するために施しを与え続けています。

それに甘んじて、当然のように捉えて感謝も忘れ、恩を仇で返すような生活を続けていませんか?

文明の方向性は、本当にそれで合っていますか?

 

ガイアは生きています。ガイアの元へ集った万物と共に和をなして生きる人生こそ、それぞれが自分自身の魂から許され祝福された人生。

 

 

最後のチャンスを与えます。

 

今までの生活を捨て去る覚悟をしてください。

本当に大切なもの「命」という唯一のチャンスを唯一つ握りしめて、0からのスタートです。

自分と同じように、周囲の人達や万物を大切に思いやって、良心に従って行動してください。

すべての存在、その恩恵への感謝を、生きる希望・勇気として胸に灯してください。

文明は、人間の智恵を出し合い、万物との共存を目指してこそ続くものと理解してください。

 

まだまだ希望は数えきれないほどあります。

この「今」、あなたはこうして生かされているのですからね。

 

 

言い訳も、自己弁護も、必要ありません。

過ちを咎めるように、何かや誰かや自分を責める必要もありません。

万物は、愛でしか人類を見ていません。

間違いに気がついたのなら、改めれば良いのです。

 

カウントダウンはすでに始まっています。

これが最期のチャンスの始まりであることを忘れずに。

 


以上です。日々、少しずつ受け取ったメッセージを繋ぎ合わせていますので、断片的な文章としては、少しわかりにくいところもあるかも知れません。少しずつ区切ってお心に納めてくださればと思います。——

 

 

 

地球(ガイア)から人類へのお返事

前述の「人類が命への最低限の思いやりを持つ日がくると、動物達は狩りをやめる」「現在の弱肉強食の生態系こそが、現在の人類の投影そのもの」でもあると書きました。

知人宅の庭によく出入りする野良猫は、スズメにやさしく呼びかけて、自分にもらった大好物のパンを置いていってあげるそうです。猫が鼠や鳥の狩りをすることはよく知られていますが、分かち合うとは驚きました。

知人曰く「たぶん私(人間)が猫にパンなどをあげるのを真似したんじゃないのか」と言っていましたが、なんとも優しい世界がそこにあるものだと、あたたかい気持ちが伝染してきます。

 

また、有名な話で言えば、ゴミ捨て場を荒らしていたカラスに毎朝「おはよう」等の声をかけていたら、一週間程度で全くゴミを荒らさなくなったそうです。それどころか、それからはカラスから先に挨拶をしてくれるそうです。

その、挨拶をしていたゴミ捨て場は、それ以来、カラスには荒らされませんが、なんと、すぐ隣のブロックのゴミ捨て場は、いまだに荒らされているということです。

まるで鏡のように、親切や信じる心には感謝や同じく親切が返ってきます。いまだに荒らされているゴミ捨て場では、カラスを忌み嫌い、時には棒などで追い払っているそうですが、一時は逃げて去っても、またすぐ荒らされてしまうそうで、徐々に凶暴にもなってきているそうです。

 

まったくもって「鏡」です。その鏡に映るメッセージをいかにうけとるかによって、結果は大きく違ってくるという、とてもわかりやすいカラスの例です。

心をかけることや、存在への敬意をあたりまえに人間の側こそが、その最低限の命への思いやりを示した時に、このようなことが起こります。

動物達は人間世界の投影、または目の前の人間個人の投影として、常に周囲の人間へメッセージを体現してくれているものなのです。

 

カラスや猫などの動物に限らず、植物などの自然のすべての枝葉や花弁が、まるでガイアの意思と繋がる神経のように、万物は、地球の指先のように繊細にすべてにガイアを宿しています。

即ち、地球も常に万物を通じて、それぞれの鏡のように相応しいメッセージや境遇を体現しています。

人間が命よりも経済を、そして、自分や身内の都合や利得ばかりを優先するのなら、鏡のように、命の危機が、そんな人間への地球からの返答の便りとして送り届けられても道理にも摂理にも適っています。

 

そう思うと、前述の転載文「コロナウイルスから人類への手紙」というウイルスを擬人化した表現で書かれたメッセージですが、この手紙は、これまで人間や文明が地球にしてきたことへの、すでに地球から人類への「お返事」なのではないかとさえ思えてきます。

 

これまでの現状を維持するためや、取り戻すために多くの補償を求めては、天災や境遇や他者を責めて、変化を拒みながら、それで大切なものを守ることや、なにかを築くことができるでしょうか。

未来を犠牲にして現状の経済的利益や文化的生活と思い込んでいる生き方を維持したいのか、それとも、今、過去を現状を改めて、新しい未来へ向かうのか。

現在の新型コロナ禍がいつか終息を迎えた時、いまさら元に戻すことなど不都合に感じる程に、きっとそこにはもう別の世界がある。

そうです。もう、変化を受け入れる時なのです。そして、ここで人類は、どんなメッセージを受け取るのか。

 

 

いまだからこそ 本当に大切なものを確認してみる

—— さて、「コロナ・ウイルスから人類への手紙」と「万物からのメッセージ」「地球(ガイア)から人類へのお返事」上記三つのメッセージを共有させていただきましたが、どう感じられますか?

ハッとするお方も多いのではないでしょうか?

 

 

失うことへの不安感は、物質的なものへ心が囚われていることの現れでもあります。

 

私達のこれまでの生活は、あまりにも経済優先・物質優先に傾きすぎていました。

命が大事か、経済が大事か、判断を誤るほどにです。

 

その結果、感謝の根底にある「足るを知る」精神を忘れ、際限なく求め続けて枯渇し、奪い続け、争い続ける文明へと進んできてしまいました。

 

それはどういうことか?

人間が経済や物質に振り回され、純粋な生命の優先順位が逆転してしまっているということでもあります。

 

 

【自粛】一つとりましても、他者のルールの中で生きる事が当たり前になってしまうと、自ら感じたこと考えたことに蓋をするようになり、常に自分の気持ちがわからないままルールを押し付けられているように感じてしまい、何をするにも自発的な意識よりもやらされている意識が大きくなってしまいます。

そのやらされているという意識によって起こす行動は、変化に適応できず、意義を見失ってしまうものです。そうすると、自粛へ見当違いな不満を募らせてしまい、何故自粛する必要があるのかという本質に向き合わずに、自粛をやめることで不満を解消しようとしてしまいます。

 

本来、変化や試練は、苦しみを生むためのものではなく、思考の停止を解いて眠らせた感性を刺激し、自分らしさを確かめたり磨いたりするものでもあります。

 

そういった根本的なことと向き合わないまま、この一目瞭然の一大事に、不要不急の外出の自粛を最善の選択だと自発的に判断することすら出来なくなっている心の問題を、もっと真摯に受け止めなければなりません。

 

 

この大きな機会に、自分自身の大切なものを今一度確認してみましょう。

そして、それを守るための原動力になる起源を自分自身の中に見出して、最善の選択をしていきましょう。

 

自分自身を含め、すべての命が、経済や物質より大切で、それらは命のために上手に使えることを思い出しましょう。

そして、自分らしさを取り戻し、目の前の事象に真摯に向き合うことで磨いていきましょう。

 

同じ自粛行為であっても、危機管理の精度は上がり、ストレスは軽減されていくはずです。

 

 

今までの生活を捨て去る覚悟

今、生かされる私達の多くは、過去世において何度も文明の最期に直面しています。

今度こそ、今度こそ、と大きな挑戦をして生まれては、失敗しています。

すでに意志のある人だけじゃなく、皆で手を取り合うことに意味があると、今回やっとたくさんの人々が学びつつあります。

私達は、同志です。

皆で約束して再挑戦しに生まれた、絆の深い同志です。

本気で取り組まなければ、後はありません。

 

特に、日本は、地震や台風被害の多い国です。

感染症拡大の危機に直面する現状で、更に天災が起きれば、避難所の利用は、クラスター規模以上の感染に繋がる極めて高リスクでありながらも、避難をせざるをえない窮地に追い込まれることになりかねません。

「この期に及んでまだわからないのか!」との更なるお叱り(天災)を受ける前に、先ずはすべての人々へ思いやりを持ち、最大限の自粛と、心の安定にご尽力ください。

自分と考えの違う人への攻撃もやめましょう。

戦う必要はありません。

目の前の人へ、目の前のことへ、愛情を持って最善を尽くすだけで良いのです。

私達が真に乗り越えるもの、それは、ガイアの子であるアースの一員としての生活の在り方です。

 

経済や物質優先ではなく、精神優先の生活へ勇気を持って変換していくことこそ、今、乗り越えなければいけない課題です。

その選択は、決して大袈裟な表現ではなく、生きるか、死ぬかです。

 

生きたいなら、そして、子供達のために地球の未来を作りたいなら、今までの生活を捨て去る覚悟をしましょう。

 

繰り返しますが、地球人類の生活を改める【最後のチャンス】を今、与えられています。

このコロナ禍によって、私達は様々なことを制限され、多くのものを失っていくように感じられるでしょう。

しかし同時に、人間の動きが少し制限されただけで、大気や大地は澄み、人間本意に自然から奪ってきたもの強要してきたもの、何よりガイアの生命力と慈愛とを感じていると思います。

 

 

生きてさえいれば、何は無くとも人生はいつでも新しいスタートを切れます。

やり直さなくて良い。取り戻さなくて良い。

新たに「今」から始めれば良いのです。

 

 

人間本意の考えをやめれば、万物からの励ましや恩恵の心強さに胸が震えることだと思います。

どんな暗闇にでも、一筋の光を見いだし、掴むことができるのは、他者を思う【愛】です。

他者(万物)を慈しみ、【共存共栄の文明】を0から築いていきましょう。

 

 

明日はこの手で作るもの。

 

 

道のりは遠いですが、手を取り合い、励まし合って、みんなで乗り越えましょうね。

 

 

いつも、感謝を忘れずに。

 

 


祈りの前には、しなければならないことがあります。

 


「自分は感染しない」と思っていませんか?

 

自粛要請が出されたものの、感染はさらなる拡大を見せていますね。

皆様もお元気でお過ごしでいらっしゃいましょうか?

 

 

 

当宮の周辺でも、マスクをせずに出歩かれるお方が多数いらっしゃいます。

 

境内を掃除をしておりましても、話しかけていただくことが多くございます。

普段であれば、とても嬉しくありがたいことですし、今まで不安を抱えながらも応対させていただいておりました。

しかしながら、やはりすでに自分自身が保菌している可能性、無自覚でどなたが保菌していても不思議ではない事態であることを踏まえて、

大変心苦しいのですが、当宮といたしまして、事態収束までの間は、対面での会話を固くお断りすることと致します。

何か御用がございましたら、お電話にてお受けさせていただきます。

お電話代等がご心配の場合は、その旨お伝えいただきましたら、こちらからおかけ直しいたします。

 

 

 

申し上げるまでもなく、

今は、緊急事態であり、ここは特別警戒都道府県です。

 

 

生命活動以外の不要な外出はせず、親しい人と会ってもその場で話さないという配慮は、有事においては最低限のマナーです。

自分がマスクをしていなければ尚のこと、お相手に配慮して立ち去らなければ、大きな不安とストレスとを与えてしまいます。

はっきり言えないのが日本人ですが、全国的にマスクをしている人とマスクをしていない人の危機感の差は大きく現れていて、危機感の薄い人の無頓着な行動に大きな不安を抱いていらっしゃるお方が多数いらっしゃいます。

 

自分さえ納得できれば良いのではなく、今は常に周囲の人の安全と安心に目を向けてみましょう。

 

 

 

そして、「自分はかからない」

 

その油断が、たくさんの方々を危険に曝すことも想像してみましょう。

 

 

自分がもし無自覚で感染していたら、不用意に話しかけた相手、家族、そして症状が出たら医療従事者の方々に大きな心配と負担と危険を与えます。

自分が感染源になってしまったら、多くの方々に辛い思いをさせてしまいます。

一家で亡くなったり、子供を遺して両親が亡くなったりということも、十分に起こりえるのです。

 

今は、万が一を考えて行動しなければならない時です。

 

皆さん等しく我慢しています。自分だけがいつも通りに生活したいわけではありません。

 

 

 

☆まずは、生命活動以外の不要な外出は避けましょう。

☆外出時は、近所であっても人とすれ違う可能性はあります。必ずマスクを着用しましょう。

☆そして、もし、親しい人に会っても、マスクもせずに不用意に話しかけないように、心がけてください。用があればお電話でもお話しはできます。

 

 

※無症状でも感染力は大きく、発症前が最も感染力が高いとの報告もあり、自分が感染しているか否かは検査をしない限りは誰にもわかりません。わからないということは、万人が「自分はもしかしたら感染しているかもしれない」という意識を持たなければ危険だという状況なのです。

症状の有無を判断基準にするのではなく、症状がなくても必ずマスクを着用しましょう。

 

 

緊急事態の意味をきちんと理解し、お互いの人命を最優先で、思いやりのある行動をしていただけますように、当宮からも何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

全国、心一つにして、共に乗り越えていきましょう!

 

 

八幡宮

 

 


緊急事態宣言の重さ

ようやく春らしいあたたかさに心もほころぶ季節になってまいりましたね。

境内では、手鞠桜が満開のときを迎えようとしております。

 

 

緊急事態宣言が発令なされ、外出の自粛を託されてから、なかなか街中で咲くお花をご覧になる機会も減っておられるかと存じます。

 

それでも、尊い命には代えられないもの。

すでに市中感染も拡大し続けており、感染源を追えておりません。

どういうことかと申しますと、無症状でも感染能力の高いこの感染症は、無自覚であっても「すでに感染している可能性が、万人にある」ということなのです。

 

御自身が感染しないことはもちろんのこと、自分が保菌していると仮定して、「他者に感染させない」意識で行動しなければならないということです。

 

 

 

【緊急事態宣言の真意】

 

都市封鎖(ロックダウン)には、国民への強制力の代わりに政府の補償がつきものですが、残念ながら、この国にはそれだけのお金はありません。

緊急事態宣言の真意は、「政策ではどうにもできません。この緊急事態を抜け出すには、【国民一人一人の善意の協力】が必須です。どうかご協力下さい。」なのです。

国を家と置き換えた時、家族の一大事=家の一大事であり、政府は家長に当たります。

家長が家族にそうやって頭を下げたとき、様々な思いが去来するかもしれません。

しかし、皆、その家族の一員です。家族のとる対応で、何が最善か?考えるまでもなく答えは出ますね^^

 

家長のせいにしたところで、家族一人一人の事態は改善されません。

自分自身が、自分のためにまたは大切な家族のために出来ることは何か??

 

 

それには、独り善がりで何かを押し進めるよりも、家族にとって一番大切なものをしっかり認識し合わなければなりません。

お金や物の価値は変わります。もしも金融機関がロックアウトしてしまい、新しいお金を上限付きで配布し、旧紙幣や旧硬貨が使用不可となれば、今までの貯蓄はないものとなってしまうのです。

それに、いくらお金があっても、たったお米一粒も売っていなければ買うことも叶いません。

こうして書くことで、決して不安にさせたいわけではなく、本当に一番大切なものは何かをよくよく考えていただきたいのです。

 

 

お金?勉学?それらは、命があってこそのもの。

命を守ることを最優先にできなければ、これらはすべて叶わないのです。

命があれば、どうにでもなります。

いつでも再出発できるのです。

 

 

もし、今無理をして働いても、感染してしまえば、幸運にも身体は無事であっても無期限で休職を余儀なくされます。

このウイルスの厄介さを知れば知るほど、今後の感染記録によって厳しい処置が取られることも考えられます。それは、職場に限らず学校も同じです。

上記のことだけでも、感染を避けることがどれだけ得策であるか、おわかりいただけると思います。

 

 

今、現在、倒産されている会社もたくさん出てきています。

それでも、命があれば、意思を持てば、いくらでも再出発できます。

 

 

病院で働く方々、自衛隊や警察官や消防隊員をはじめ公務員の方々など、休めない方々もいらっしゃいます。

今はまだ、生活用品を提供するお店に御勤めの方々も、危険と隣り合わせで働いてくださっています。

なぜなら、私達皆の生命活動にどうしても必要なお仕事だからです。

稼ぐためにする仕事とは意味合いが違います。

 

その方々の命や身体を守るには、やはり一人一人が感染しない、感染させないことしかありません。

 

 

 

 

何かと命を天秤にかけて、「命が大事!」と即答できない人がもしいらっしゃいましたら、それは何故なのかを、よくよく考えてみてください。

そこへは、「人生への理解」が大きく関わっています。

 

 

偶然に生まれてくる人など、一人として存在しません。

皆、人生の課題を自らが決めて、時代・環境などすべて望んで生まれてきます。

その課題は、常に目の前のことへ真摯に前向きに向き合っていけば、自然と理解し学びを得られるようになっています。

特殊な能力も、特別な強さも必要ありません。

 

 

何となく生きて、何となく死ねると思っているとしたら、大きな誤解です。

必ず自分自身の人生の課題、つまりは生まれた意味へ向き合う時が用意されています。

それが他界の瞬間では、霊的進化の大きなチャンスを棒に振った大きな後悔を背負い、死後の永い永い期間を魂の浄化へ費やすこととなり、とてもつらい思いをします。

成仏までの死後の修行は、生きている時と比にならないほど、過酷なものです。

 

ですから、チャンスを取り戻せる存命の間に向き合うように、今尚、万人にこの「人生と向き合う機会」が与えられています。

 

「生きたいですか?」

「何故、生きたいですか?」

「最も大切なものは何ですか?」

「それは、すでにあることに気が付きましたか?」

「それを守ることに最大限の努力ができていますか?」

 

万物からの、これ以上ないシンプルな問いかけです。

 

 

答えというものは、いつもシンプルです。

素直で良いのです。

 

 

皆、同じでも、皆、平凡でも、良いのです。

 

 

 

そのお互いの一番大切なものを守るには、万人の心を一つにしていくことでしか叶いません。

それもまた、とてもシンプルです。

 

 

強制力のある都市封鎖と違い、この緊急事態宣言は、国民一人一人に善意の行動を託された、大変重みのあるものです。

 

緊急事態宣言の真意は、皆が自発的に思いやりの精神で手を取り合って、自発的に前向きに支え合うこと。

 

新しい輝かしい時代は、こうして闇の中の一筋の光をつかみ取る、【心の団結】から始まっていきます。

 

私自身、その新たな世界へと無事に生かされたなら、大変光栄に思います^^

 

 

 

自分と違う考えの人を、責める必要はありません。

万物は、すべての人へ、同じだけ機会を与えています。

その人にはその人にわかりやすい形でまた機会が与えられます。

 

強制したところで、自分自身の意思がなければ、行動は穴だらけで意味はありません。

見限るのではなく、その機会をつかみ取れるように祈り、万物へ委ねましょう。

 

手を取り合える人とまずは手を取り合い、その輪を広げて行きましょう。

 

ただ、身近な家族であれば、危機感が薄い人へは伝わるように工夫しながら事細かに伝える努力は日常の中で無理なくできますね。

 

 

私達すべての人類は運命共同体であることを、嫌でも思い知る機会をいただいています。

 

この機会を、陽へ転ずるも、陰へ転ずるも、私達次第です^^

 

 

 

是非、前向きに、真摯に、この機会と向き合っていきましょう。

政治の力よりも、一人一人の力のほうが遥かに大きいと知り、希望を抱いて耐え忍ぶことです。

 

 

和をもって尊しとなし、ゆるやかに心を一つにしながら、

必ず新たな日の出を共に拝み、共に喜びましょう^^

 

 

それには、先ず、人命第一です^^

当宮の感染拡大防止策におきましても、過剰すぎると思われるお方もいらっしゃるかと存じますが、趣旨をご理解の上、何卒ご協力いただきますようお願い申し上げます。


【平和】は神へ祈るだけのものではなく、自分たちで成し遂げるもの。

皆様、こんにちは。

まだまだ全容を把握できない新たなウイルスの脅威に、各国で緊急事態宣言がなされたり、特例処置がなされる中、この国は何故入国管理においてもリスクマネージメントにおいても甘過ぎとも言える対処をし続けるのか?

それは、オリンピックの開催をどうしても遂行したい意図があるとしか思えません。

それ以外に、国民の安全を犠牲にする理由は見当たりません。

民間の私的な経済損失などは、少子化に悩むこの国にとって、国民の命を大量に失うことの損失と比べるまでもないこと。

しかし、オリンピックの中止または延期となりますと、公的財産の損失と、名声の損失が懸念されます。

 

 

名声はさておき、公的財産の損失となれば、確かに国民にとりましても一大事です。

しかし、公的財産がもし失われてもなるべく影響を受けない働き方を選んでいくという自由は、すべてのお方に等しくあります。

そのことが、公的支出も軽減していくことに繋がり、お互いに依存関係を解消しながら助け合うことができていきます。

政府に完璧を求めるのではなく、行政に多くを求めるのではなく、自分自身の出来る範囲で自立し、助け合っていく生き方へ移行していかなければ生き残ることも困難な時代です。

自分自身の人生、責任を持てるのはたった一人。自分自身のみです。

何かや人のせいにせず、自分で自分を幸せに導くように努めることがこれからは必要になっていきます。(※自分だけが良ければよいという意味ではありません)

働き方や危機管理も含め、自分自身や周囲の人に責任を持って、各人が最善を尽くしてまいりましょう。自分の身は自分で守り、自分の生活は自分自身で変えていくのです。

 

 

 

 

さて、感染者数というのは、厳密には感染確認者数であり、実際どれくらいの方々が感染し、また一度体内に入ったウイルスがどのような道を辿っていくのかは未知数です。

感染が「確認」されていなければ、もし亡くなっても「肺炎」などの病死扱いでカウントされません。

 

インフルエンザの核(ワクチンなど)への攻撃性や、発症後5週間は核が体内にとどまるなど、さまざまな研究はなされていますが、寒さを好むコロナウイルスが次の冬以降に体内に息を潜めたままの可能性や再燃するのか否かもまだ未知数で、わかっているのは、無症状でも発症者と同じだけの感染力を持ち、集団感染も認められるほど強く、致死率はインフルエンザの10倍以上の2〜3%ということです。

8割の感染者は感染させていないという見解も、感染者数の全容も把握できていない状況で非常に危険性を軽視なされた見解です。

 

オリンピックの中止が決まれば、日本での感染の実態が明らかになる可能性が高いですが、そうなればこの国の政府への国民の信用は取り戻すことは到底できないでしょう。

 

 

米シンクタンクの試算では、日本の感染死者数について、最善のシナリオ13万人、最悪のシナリオ57万人と発表されているほど、損得勘定の入らない見積もりでは、かなり厳しい事態に世界中が見舞われているのです。

https://www.businessinsider.jp/post-209278

(今回はこの国ではなく世界の動向を注視すれば、個人がとるべき行動を政府の発表を待たずに決めることができます。

テレビのニュースはどうしても政策が関わってきますので、テレビではなく、自ら求めて調べるように心がけてください)

 

 

そんな中での、東京オリンピック開催です。

今のままでは、入国管理の甘さも相俟って、世界中の選手をはじめとする方々を危険に曝すことになりかねません。

 

 

元来オリンピックは、神へ生きる(身体を使わせていただく)喜びを表現した祭典競技でありました。争いごとが絶えなかった時代にも、聖なる休戦としても続いてきた地球における全人類にとってとても大切な【平和の祭典】なのです。

 

平和は、人類が神へ祈るものではありません。

神々こそが子供達であるすべての人類へ平和に生きることを願い、私達人類へ祈ってくださっているのです。

人類が自分たちの意思と努力で成し遂げるものなのです。

もちろん、平和を祈るお気持ちは尊く意味のあるものですが、それを成し遂げるのは神ではなく当人である私達人類です。

 

この未知のウイルスへの感染リスクのあまりに高い状況下でのオリンピックの開催または中止・延期の決断は、

「どれだけ、全人類の安らかな日々を心から思えるのか」、それが試されている決断でもあります。

 

何を犠牲にしても守るために努力をすべきは、全人類の安全の確保なのです。

 

 

たった一人でも犠牲にできる心は、必ず大きな戦いを生みます。

なんのための組織かも忘れ、組織の損得のために他者を犠牲にすることに疑問さえ持たなくなります。

そうして戦争は繰り返されてきました。

問題なのは、その心なのです。

 

 

今一度、オリンピックを開催する本義を見つめ直していただきたいものです。

損得ではなく、慣例でもなく、ただ「生かされ生きる喜び」のための【平和の祭典】だと思い出して、他者を思いやる心を持って。

 

 

そして、万物が許す自然な機会を得て、満を持してオリンピックが開催されることを願ってやみません。

 

 

 

平和な世は、私達人類が、諦めない強い意思で努力して作るものなのですから。

 

真の平和とは何か、人類はもちろんのこと、地球や地球に存在するすべての存在へもその思いを傾けていきたいですね。


心の目で見る。心の耳で聞く。マスクは必須です!!

感染予防にマスク着用不要 過度の使用控えてとWHO

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56249640R00C20A3CZ8000/

この呼びかけを受けて、「健康だし、マスクしなくていいみたい」と解釈されているお方がいらっしゃいますが、

WHOの趣旨は「マスクがなくて困っています。ご協力ください。」に他なりません。

 

新型コロナウイルスは、無症状の人からも、発症者と同じ量のウイルス発散が確認され、無症状の人からの感染も早くから確認されています。

 

恐ろしいのは、咳・くしゃみによる飛沫感染よりも、会話での飛沫感染のほうが水分含有量の関係で感染しやすいということ。

 

無自覚のまま感染した人が、マスクもせずに会話している相手、その場に居合わせた人々へウイルスを拡散する可能性を考えると、感染しないためにも感染させないためにも、すべての人にマスクは必須です

 

手に入らなければ、作りましょう!!

 

お手持ちのハンカチや、キッチンペーパー、余った布などで、簡単に作れます。

 

 

ハンカチでの作り方はこちら↓

https://esse-online.jp/health/217462

 

切らず縫わずなので、簡単です。

 

 

布をお持ちの方はこちら↓

作り方☆立体布マスク(ガーゼマスク)

 

 

キッチンペーパーも、両面テープで止めれば、使い捨てできます。

 

 

鼻に当たる部分に、お菓子袋に使われているようなやわらかいワイヤーの入ったリボンなどを入れると、フィット感も増します。

 

 

 

手作りのマスクは、前もってお伝えしている消毒方法で消毒でき、経済的です。

 

これも助け合いの一つ。

 

くれぐれもマスクは必要ですので(とにかくウイルスを体内に入れないことが重要です)、是非、この機会に作ってみてください^^

 

 

世界の一大事です。

コロナウイルスの性質上、夏場収束したとしても、その間の感染拡大によって翌年の冬、またその次の冬と、本当のパンデミックが起きる可能性は高く、長期戦になると思います。

 

足並みを揃えて、助け合い、知恵を出し合い、乗り越えていきましょう。

 

 

収束しても、マスクの着用は強くお勧めします。

前述のとおり、無症状でも感染力が非常に強いためです。

とにかく、ウイルスを体内に入れないことがとても重要です。

 

 

地球上にいらっしゃる全人類のために、どうかご協力いただきますよう、お願い申し上げます。

 


【ウイルス対策の基本】

前記事に引き続き、ウイルス対策の基本をお伝えいたします。

お役立ていただけると幸いです^^

 

相手を知り、最大限の対策に努める。

必要以上に不安にならないことが大切です。

 

【コロナウイルスの特徴】

コロナウイルスのトゲは脆弱で、1mも飛べば死んでしまうため、換気が重要です。

 

コロナウイルスは、飛沫感染接触感染によって感染が確認されており、空気感染は確認されておりません。手洗いうがいマスク着用で、かなり防げます。

手を洗うまでは顔やマスクに触れないことでも、リスクは下げられます。

もし、無自覚で感染していても、マスク着用は感染拡大防止にも有効です。

 

コロナウイルスに関わらず、粘膜を乾燥させないように、こまめに水分を摂ることで、粘膜へのウイルス付着のリスクを下げられます。

 

コロナウイルスは60℃30分以上で死ぬと発表されていますので、熱湯消毒が可能です。

 

 

 

【感染しないために】

0、不要不急の外出や面会はしない。

1、自宅以外はマスクの着用。

2、顔面(特に口元やマスク)を触る際、手を除菌(石鹸で洗うなど)してからにすること。

3、喉を乾かさないように、常に水分を摂る。
乾いた喉の粘膜からウイルスが入りやすいからです。
(少しでも喉がチクっとしたら菌やウイルスが付着した瞬間です。)

4、外出先のトイレから出る際、エアータオルは絶対に使わない。
清潔なハンカチを必ず使用してください。

5、自宅では暖かい飲み物を頻繁に摂取すること。
(お茶でもお白湯でも良い)

6、唯一ウイルスを撃退できるのは液体のビタミンCのみなので、毎日摂取すること。

※キレートレモンやC1000などの、ビタミンC含有量の多い液体が最も良く、ローズヒップティーなども有効です。

 

7、手を尽くして、不安を手放しましょう。不安やストレスは全身を緊張させるため、リンパが滞り、免疫力を下げてしまいます。出来得る限りの努力をしたら、あとは天に任せて不安は手放してください^^

 

 

 

【もしも感染してしまったら】

・暖かい飲み物をこれでもかと飲み続けること。
(※基本体温をあげるため。温かいウイルスを死滅させる意味合いではありません。)
・自宅ではインフルエンザ罹患時と同じように隔離対策をすること。

 

・できるだけ食べ物を控えること。
お腹がすきすぎたら、おかゆのみにすること。

 

・薬局の薬は絶対に飲まないこと。

 

・症状の抑制には、レモンバームやエルダーフラワーを含むハーブティーも大変有効です。

 

 

 

 

 

 

祈りも大切な行為です。

一刻も早く、地球上の万人に安らかな日々が戻ることを、共に祈りましょう。


紀元節

今日は、建国記念の日(以前は紀元節)でございますね。

 

義務教育の歴史の授業から神話が姿を消してから、この国のはじまりについて知るのは自らが求めたときとなりました。

 

お若い方々とお話ししていて、「神武天皇」という御名が出てきますと、もちろんご存じのお方もいらっしゃいますが、「何か知ってる」「誰?」という返答も珍しくはありません。

 

歴史を知らなくても、生きてはいけます。

 

しかしながら、素晴らしいことというものは、知れば感性が豊かになります。

また、「日本人とは何なのか」「自分は何故出生の地に日本を選んだのか」そういった自らへの問いをひも解くきっかけになることもあります。

 

神武天皇とは、日本の初代天皇であり、建国の精神として「八紘一宇(八紘為宇)」を掲げられました。

八紘とは、八方の果て、隅々

一宇(宇)とは、一つの家

「すべての存在が一つの家族である」というものです。

 

 

私はこの言葉を知ったとき、自分の感覚ががらりと変わりました。

それは姉が小学1年生の頃、授業で「私の名前」について両親に教えて貰うという宿題が出されました。

姉が両親から贈られた名は、母胎に命を授かった天孫降臨の地で目に留まった「八紘一宇」に由来するものだとその時に知り、また八紘一宇の意味もその時に両親が教えてくれました。

まだ私は4歳でしたが、幼いながらに理解し、同時にこの国をはじめ人類の目指すべき姿として胸に刻まれました。

 

 

子供だからわからないというわけはありません。

子供だから、純粋な命として、まっすぐに偏見なく見聞きします。

幼いうちに伝えてあげるのも良いものだと、私の経験から思います^^

 

 

ご興味がわいたお方は、是非この機会にこの国のもっともっと以前からの歴史を調べてみてくださいませ^^

きっと、そのお方そのお方で感じるもの、重要に思えるものが違うと思います。

それは、一人一人人生のテーマが違うからであり、そのため万人が唯一無二の経験をしてきて感性も思考も本来は万人がオリジナルであるからです。

何においても、すべてに正解等なく、否定も肯定もする必要の無い、かけがえのない自身の心です。

是非、自分自身が何を感じるのかを楽しんでいただきたいとも思います^^

 

 

 

アマゾンに続き、オーストラリアの森林火災、猛威をふるう新型コロナウイルスやインフルエンザ。

私達人類の意思は、万物から問われ続けます。

 

国境を越えて、家族として助け合えるのか、それとも我が身だけ安全ならばそれで良いのか・・・

 

 

喜びは素直に分かち合い、

そして困難なときこそ、率先して手を差し伸べる行動・気持ちを大切にしたいものですね。

 

 

祈りも大切な手助けです。

「何をしたら良いかわからない。」

そんなときは、祈りを捧げたり、誰かの幸せを願うだけでも大きな力になります。

また自身の意識・行動にも少しずつ変化をもたらします^^

 

 

無関心でいるより、ほんの少しずつ、真心を向けてみる。

そのささやかな変化が、自身の未来の道しるべになっていきます。

 

 

 

「八紘一宇」の世界への歩み。

受け継がれるこの国から、この民族からはじめ、どのような困難の中にも勇気を持って根気よく続けていきたいですね^^

 

 

 

 


御守が破損・紛失したときは・・・

先日、私が留守中に「御守を授かって10日ほどで紐がちぎれたから交換して欲しい。縁起が悪い。」ということで、ご訪問がありました。

 

御守は、交通安全・厄除開運・招福・金運・病気平癒・安産など、多種多様に御祈願が施されていますが、どちらの御守も最たる御利益は「身代わり」です。

 

当宮で授与致しております御守に関することでも、様々なお話しを伺います。

 

・机に置いてあっただけなのに突然紐の部分が破裂してちぎれた

・アクリル製の瓢箪部分のくびれが、突然真二つに割れた

・部分的に色が変わった

・ポケットに入れておいた御守の紐が刃物で切ったかのように綺麗に切れていた

 

など、こういったことがよくあります。

 

私達は、起こた事象に対しては認識できますが、守っていただいて避けて通れた事象に対しては知る由もありません。

ですから、不良品だったと思われるお方も中にはいらっしゃるかも知れません。

 

 

☆御守が不自然に破損・紛失したときは、大難から守ってくれたとき。

☆御守が自然な形で破損したときは、小難から守ってくれたとき。

 

縁起が悪いのではなく、御守とは本来身代わりとなって守ってくれる存在です。

もし、御守が破損した時には、「縁起が悪い」ではなく、

「御守護いただいてありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えてあげてくださいませ^^

 

修理すればまた、その御守と絆を結べることもありますし、ご心配でしたらご相談ください。

尚、宮司謹製の天然石御守につきましては、乱雑な扱いでの破損でなければ、無料で修理させていただいておりますので、お問い合わせくださいませ^^

 

御神札や御守というものは、決して気休めで持つようなものではありません。

目には視えなくとも、物というのは私達と同じように意思もあり魂があります。その上で、御祈願された品々には大きなお力が宿っています。

ですから、是非とも大切に扱っていただきまして、日々お持ちになる際、また新たな年に御返納いただく際には、その品々へ感謝のお気持ちを向けていただければ嬉しく思います。

 

 

 

八幡宮

 


神道には宗教の垣根がないのはなぜか

なんだか壮大なお話しをしようとしていて、うまくまとめられるのか不安ですが、補足として書こうと思います。

「神道は、本来宗教ではない」と、前記事でも書きました。

では、神道とは何なのか?

それは、簡単に言えば「道徳」です。その中には、宇宙の真理が織り込まれています。

 

時代から時代へと、物語にも筋があるように、各時代を選んで生まれてきた人々によって、すべての事象は様々に解釈がなされていきます。

そこで大事なのは、「絶対的な事実と言うものは存在しない」ということです。事実と誤解されているものは、それぞれの解釈によって連鎖共感的な「物事の側面」が「事実」として認識されたものであるのです。

そして、それによって、暗黙のルール・常識が作り出されていきます。

 

神道で言いますと、神への解釈も、時の流れへの解釈も、規模の解釈もそれぞれの時代・人で変化していきます。

とある神社には伝承が残っていますので書かせていただいても問題ないかと判断しますが、天皇というご存在は、日本のものだけではありませんし、皇紀は2680年よりも何万年も古いものです。

そこへは、天皇は天磐船(宇宙船)に乗って地球上すべての国を回っていらしたとの記述が残ります。

現在以前の文明では科学力は高く、それが「普通のこと」だったのですね。

現代では、科学で証明できないことは事実ではないという風潮が強くありますが、その科学というもの自体が現代の地球はかなり原始的な状況であり、感覚のほうが遥かに上回っている時代ですので「科学で証明できるか否か」を基準にしていては、あらゆる可能性を無視しつづけることになります。

遥か昔から、天皇(スメラミコト)というご存在は、世界中の地球表面に暮らす人々だけでなく、地底世界に至るまで、地球にとってとても大切なご存在です。

今は各国自国のみの利害を考えての政治がなされていますが、八紘一宇の精神が広まりすべての地球人が真の家族になれたとき、スメラミコトというご存在への感謝と喜びを知ることになるのだろうと感じています。

現代でも、この星でエンペラーの称号がおありなのは天皇陛下ただお一人。エリザベス女王よりも上座にお座りあそばします。

日本では、なかなか重要なことが伝えられないのがもどかしくもあります。

 

八紘一宇の実現のためには欠かせないご存在です。

 

 

 

さて、前記事で、どうして千手観音菩薩が神社に?!と思われたお方は多くいらしたのではないでしょうか?

義務教育でも習うかと思いますが、本地垂迹説・反本地垂迹説のように、神が仏に、仏が神にと仮の姿で現れたのではないか?という説が定着しています^^

私の経験をお話ししましょう。

私は天照大神のグループと縁が深いです。色々なご存在がいらっしゃいますが、天照大神=大日如来に限ってお話しします。

天照大神と大日如来の大元の魂は同一です。しかし、役割りが違うためにお姿も異なります。

天照大神様は生きている方々を照らし導きます。主に希望を与えたいとか、肯定し慈しみたいとか、そのようなお手伝いをしてくださいます。あとは、他の神々など様々なご存在を照らして支えていらっしゃいます。

大日如来様は、亡くなられた方々を導きます。私が浮かばれない方々の浄霊を行うとき(戦争や災害で亡くなられたたくさんの方々に助けを求められた際のことで、自らは出向きません)にものすごい光で照らし慈愛に満ちた微笑みで亡くなられた方々の魂を瞬時に慰められ、みなさんお幸せそうな笑顔になって手を取り合い、輪になって昇天なさいます。

生死で役割りが異なるのも、神社とお寺に分かれているのも、宇宙の真理。

偶然はなく、生かされる私達も、この世はすべての存在との共同作業と知り、尊重し合い然るべき機会には手を取り合うことが、自然な在り方です。

世界中には、お名前やお姿が違っていても、同一の神々または親子の縁を成す方々がたっくさんいらっしゃいます。

古くからの宗教同士には、やはり重複しているご存在だらけですね^^

 

そもそも宗教だ国だと排他的にならなくても、自分がどうありたいのかをいつも見失わなければ、自らの意思・信念を脅かすものは何もないのです。

 

神道とは、惟神の道。神の御心のままに人類が成長していくこと、共に手を取り合っていくことが真髄であると思います。

この地球人類の家族が考えの違いで否定し合ったりせずとも、自然な距離感で尊重し合うことが大切で、国も宗教ももちろん性別も尊厳を左右するものではありません。

 

これからの時代、特殊な時代です。

この文明の存続がかかっているからです。

現実味がないかも知れませんが、地球が悲鳴を上げていて、地球の命を保持するために人類が向き合えるのか、それとも再びリセットされてしまうのかの岐路に立っています。

利己的な意識からの常識を捨て去り、利他的な意識でどれだけ世界を構築し直せるかにかかっています。

浄化のための自然災害も容赦なくなるでしょう。そんな中、どれだけの心の垣根を越えて支え合い助け合えるか、人類の人生の真価が問われ続けます。

それには、あらゆる枠を自ら打ち砕いていく勇気が必要になってきます。

 

古来から、多様性をおおらかに受け入れてきた民族「日本人」。その根底にある「神道」の生き方。

意識すれば「神道」ですが、それは私達の感性と良心に基づく道徳そのもの。

 

世界から宗教の垣根をなくそう(宗教を一つにするという意味ではなく、それぞれを尊重しながら手を取り合おうという意味です)という意識を広めていけるのは、きっと日本人のはずです。

 

真の平和「八紘一宇」の実現のために、日本人から心の垣根を取り除いていきましょう^^

 

 

 

 


令和2年(皇紀2680年/西暦2020年)新時代の幕開けです

神道とは、本来宗教ではなく、そのため「宗教の壁」もございません。

当宮にも、たくさんのご存在がお見えになります。

 

 

歳神様(とんどさん)について、諸説ありますが、私の経験では元日から幕の内まではその歳の神様(今年は千手観音様)と家や個人に縁のある神使や天使、幻獣などがいらっしゃいます。

 

歳神様は、15日のとんど(左義長)の送り火にて各御家庭からはお帰りになりますが、今年1年間、その御威光にあやかることができます。

(神使や天使、幻獣などは残ってその人が利他のためにできることを手助けしてくれます。)

※特に、歳神様をお迎えした鏡餅には、御神気が宿っていますので、しっかりと召し上がってくださいませ^^

 

さて、今年の歳神様であらせられる千手観音様ですが、当宮にも昨年末からお越しになり、お正月準備をする様子を付いて回られてはニコニコとご覧になっていました^^

 

私達人間への慈愛に溢れたお方様です。

 

新年のご祈願では、特に病気平癒のご祈願でその不具合を起こしている箇所に対応した御手を宛てがわれ、優しいお顔で丁寧に癒してくださっていました。

(きつねにつままれたようなお顔をされていたお方もいらしたので、もしかしたら何かお感じになったかもわかりませんね^^)

 

 

今年は、大きな切り替わりの歳でもあります。

今までの常識が、顕著に崩れていき、人間が自分たちで「本当に大切なものは何か」ということに柔軟にかつ真摯に向き合っていかなければなりません。

伝統や常識に固執することは、大きな苦しみを伴いはじめます。

特に、封建的な意識は早急に手放していかなければなりません。それは、謙虚への理解を深めることであり、敬いを手放すのではなく、存在の本質を理解して、「すべての存在を等しく敬う意識」への移行です。

それには、「他者の言葉を聞き入れる覚悟」・「歩み寄ろうとする勇気と根気を持ち続ける覚悟」が必要になってきます。

 

神道は、宗教ではなく精神的道徳です。

神道で言うところの「すべての人間が神の子であり、万物に神が宿る」ということへの理解を深める時代に本格的に突入します。

個人的に面白いと感じてきたのは、大祓詞の中に、天孫降臨の際には草木がおしゃべりをやめて・・・という表現があります。

草木は本当におしゃべりで、私達人間にもよく話しかけては励ましを送ってくれています。

その草木が黙った!!という表現が何ともおかしく、しかしやはり人間も以前はこの声が聞こえることが普通だったのだと安心もする記述です。

簡単に邪魔だと刈り取ってしまう草にも、木にも魂は宿り、心があります。物にもです。

これが常識と省みもせずに我を通すことを優先していてはいつまでも聞こえないままです。

 

 

このコラムでも、少しずつ発信してまいりましたが、私達の「本質」は何か?人生とは何か?を問われる時代の始まりでもあります。

 

 

この星特有の、物質界に囚われている人生から、精神世界を主にした人生へと移行していく必要にすでに迫られています。

身近な自分の心や魂と同じように、物質的には見えない世界が確かにあります。

 

 

もし、あらゆる干渉のない世界だったなら、何も制約がなく何の不安もないのだとしたなら、どのような人生を歩みたいですか??

私は、自分らしさ・その人らしさを見つめ続け磨き合い、そして美しい調和の世界を体現したいです。

そう、精神世界のための物質界です。すべての事象は、精神世界の投影でもあるのです。

事象に精神を振り回されるのではなく、事象を通じて潜在意識を認識して気付いていくことが大切です。

励まし合い、共に歩める同志を見極めていきましょう^^

 

いよいよ、本格的な新時代の幕開けです・・・!!!

 

 

 

 


苦しみからの解放

こんにちは^^

境内の草達が元気に育っております^^

連日ニュースで目にする地球の肺と言われるアマゾンの大規模火災。アマゾンの草木が地上の酸素の20%を作り出しているということで、地球の環境に大変化をもたらすのではないかと懸念されておりますね。

 

境内におきましても、木々も雑草と呼ばれる草達も、私達の生命に欠かせない酸素を作ってくれている存在の一つです。

そして、生い茂る枝葉は地表の冷却化に役立ち(現に、アマゾンの森林火災は森林伐採が進む中あちこちで起こるようになったそうです)、丈夫な根は土を耕し他の植物の成長を助けたり、水害から私達を守ってくれます。

 

植物のネットワークはすでに科学でも証明されていて、地球の裏側までも情報を共有しているのです。

 

この地球環境悪化において、私達地球人類が考え直さなければならないこと。

それは、やはり、「進化」と呼ばれてきた人間主体の生活と価値観であると思います。

 

単なる人間だけの感性での便利の追求のために、ましてや景観だけのために、他の命を粗末にしてしまうことが、本当に進化であるのか。

それに、その命は、地球の生命の循環において、人間よりも遥かに役に立っているにも関わらずです。

 

草や虫、菌達の存在なくして、地球の営みは循環しません。

 

 

 

苦しみについての話題で、なぜ環境の話をしているのか疑問に思われているかもわかりませんね。

心理の観点から、環境問題と心の病とは、非常に関係が深い問題であると私は確信しているからです。

 

現代の人間主体である利己的な生活が心に及ぼすものは大きく、利己的な習慣がついてしまいますと、心の病を引き起こしやすくなることがまず一つです。

苦しみとは、自分の欲求や理想と違ったことが起きた時に生まれ、自分の欲求や理想を無理に通そうとすることで、更なる苦しみを生みます。

善かれと思い込んでしまいがちな、「正義」「常識」にしてもそうです。

特に正義や常識は、ごくごく小さなコミュニティーでの共通意識に過ぎず、10人いれば10人それぞれの考えや価値観があることを尊重しながら、歩み寄る方法をお互いに探してこそ発展に繋がるものです。

調和というものを無視して、善かれと思っていたとしても、押し通そうとすれば無理が生じます。

 

命というのは、常に万物との共同作業で運ばれています。

人間だけが孤立しているように感じるのは、生命的な孤立ではなく、精神が利己的に働いているときのみに起こる錯覚です。

地球だけではなく、宇宙、外宇宙までもが関わって緻密に運営されている中での私達人間という存在は、無理を通せば無理が祟るようになっています。

苦しみが生まれた時には、万物の運びの中で無理を生じさせている自分の意思が何かを見つめてみたり、自分自身の意見と相反するものを含めたあらゆる意見を肯定的に説けるように努力すると、物事を多次元的に見つめる余裕ができ、思い通りにいかない苦しみとは無縁になっていきます。

そして、他者の利己的な言動で傷つく必要が全くないということもわかってきます。

自分自身の手に負えないことは、万物の共同作業の中で相応しいやり方で手が差し伸べられるからです。

 

万物は、無機質な存在ではなく、利他愛しかなく、人類に対しては常に愛情深く見守り時には導く存在ですので、万物の意思を素直に受け取るだけで、人は自然と霊的成長をできるようになっています。

(神道では、万物に神(八百万の神々)が宿ることを、しっかりと伝えられていますね^^)

 

そして、もう1つに、どれだけ自らが自然物と生き方が離れてしまおうと、自らはどんなに離別したくても、万物の一部に過ぎないということです。

環境のバランスは、私達の心身のバランスに直結しており、その共感・共鳴としてもですし、自然物への排除を行えばその不調和としても、心身に支障を来たすのが自然なことです。

それでも、万物は支え合い、励まし合うことができます。

一人でしようとすれば難しくても、仲間が増えれば増えるだけ、知恵を出し合い、希望ある未来を作る力が湧きます。

どんな状況でも、次の一歩の足先が向く未来を決めるのは自分自身なのです。

人生を終えるその瞬間まで、自分の人生がどこへ向かえるのかを諦める必要はありません。

 

 

 

物事に、幸運・不運はありません。偶然もありません。

日々の事象から、胸の内に起こることをしっかり見つめて、万物を信頼し、利他の精神で心尽くしていけば、苦しみからは解放され、自分を含め命の存在の尊さがどういうものかということがわかってきます。

 

しかしながら、苦しむことや葛藤は悪いことではありません。

苦しみ葛藤しながら、少しずつ、自分が感じられる世界を増やしていく。少しずつ、悪意は利己的な感情の中にしか存在できないことを知っていく。

そして、自分の心を傷付けるのは他者ではなく、自分自身の中に傷や歪みがあり痛むからであり、その傷は本人のみ癒すことができることを知っていく。

他者というのは、自分を磨いてくれる存在であり、魂にとっては誰一人として敵ではありません。

 

自然に対しても同じことです。

 

万物に生かされ、また生かし合う中で、謙虚の意味も自分の中で育っていきます。

 

 

 

 

〜令和の御代に〜

 

 

 


再生の儀式《夏越しの大祓式》

 

昨日は、塗り降るような大雨の合間に、祭典が始まる少し前に雨は止み、祭典中は晴れ間が差し、清らかな日の光を拝みながらの大祓式となりました。

 

ご参列いただいた皆様も、大神樣方の温かい慈愛と励ましとを感じられたのではないでしょうか^^

 

つみ・けがれとは、言葉そのまま罪・穢れと解釈することもございますが、

つみは包身とも書きまして、“本来の輝き即ち魂の輝きを包み隠すもの”とも言われます。

魂の輝きを保つのは、生かされ生きる喜びです。

日常の中の上手くいかないことは試練と言い、試練の存在は、困難の中で自分らしさを見つめ、自分の本来の心(魂の意思)を悟り、どうして上手くいかないか?から、どうして上手くいかないと感じているのか?ということを突き詰めて、利己的な意識から利他的な意識へ移って行くことで魂の輝きを取り戻していくことを目的としています。

ですので、試練が来たら、真正面から受け止めてみましょう^^

“悪いこと”というのは宇宙の摂理では起こり得ません。

大抵は“都合が悪いこと”であり、なぜ、自分は都合が悪いと感じているのか?ということを見つめて突き詰めて行くと、万物の意思と自分の意思との違いが見えてきます。

そこから利己的な意思を取り除いたものが、本来の自分らしさ(魂の個性)というわけです。

魂とは、身体から切り離され、欲とは無縁の利他的な存在です。利他の対象に枠はなく、万物を指します。

その魂が、肉体を纏い、この世でしたかったこと。それが自分らしさの延長にあり、その体現こそ万物に支えられ生かされ生きる喜び=本来の輝きです。

その輝きを曇らせるものは、あらゆる欲と、そこから生まれる不平・不満・愚痴・利己的な解釈・悲しみ・怒り。

それらを“つみ”としています。

 

また、けがれは氣枯れとも書きます。

これは、身体の病や心の病によって、希望を見いだせず活力が湧いてこない状態です。

絶望の中で、一筋の光を見いだしつかみ取る力。そこに存在するのは愛と信頼です。

家族愛、友愛、恋愛。そして、自身の万物への愛と信頼。

手を差し出し合い、支え合い、助け合い。

人は一人で生きるようには作られてはいません。

あらゆる困難は、絆を固くしていくためにも、万物の慈悲として贈られます。

 

つみ・けがれの祓いは、祓うためにはまず正直に素直に見つめて熟慮し、自らの意思で新たなものを得るために手放す作業でもあり、自らの手で自らを生まれ変わらせる【再生の儀式】でもあります。

これらを含め、すべてのことが、【神々の慈愛の中で起こること】と認識し、決して自分だけの孤独な戦いではないことを実感し、安心や勇気をもらうことも、祭典の重要な役割となっております。

 

 

 

かんながら たまちはえませ

(すべては神の御心のままに。すべての魂が照り輝きますように。)

 


平成の御代から 令和の御代へ

昨日、上皇陛下が御譲位あそばされ、本日新たに天皇陛下が御即位あそばされました。

誠におめでとう存じます。

当宮でも、昨日の夕刻には天皇陛下御譲位御安泰祈願祭にて衷心より感謝を申し上げ、

今朝早朝より践祚改元奉告祭を執り行いました。

 

10時から12時まで、奉祝行事として横堤地車保存会のお囃子の御奉納も行われました^^

 

地車保存会の皆様、ありがとうございました!!

 

悲しみを伴わない御代替わりを授かりながらも、数日前から感謝が涙を連れて止まず、涙涙の御代替わりとなりました。

上皇上皇后両陛下の間接的ながらも慈愛に触れる機会に恵まれるたびに涙がこぼれ、日本人として生を受けたことへの感謝と誇りを感じて歩んできた平成の御代・・・

最後の最後まで、すべての存在へ敬意をお表しになり、寄り添い続けてくださったお姿は、私の人生の掛け替えのない宝でございます。

 

私が、考えや思いの違う人々が寄り添い、歩み寄り合い、敬い合う世の中の一助となると決意して、こうして宮司コラムを書きますのも、いつも胸に上皇上皇后両陛下のお姿があったからこそ。

天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下の大御心をしっかりと受け、新たな御代が希望に満ちた御代であるように、手と手を取り合い調和を持って皆様と共に歩んでまいります。

 

 

【令和の御代】

”それぞれが自分らしく輝きながら、手を取り合いあらゆる困難にも励まし合い、和の尊さをもって共に歩み、共に栄えていく。”

素晴らしい元号を、私達は賜りました。

この名に相応しく、自分らしさを磨きながら、すべての存在に心を寄せていく、すべての存在が生かされ生きる喜びに満ちあふれている。

一人一人の力で、そのような御代にしてまいりましょう。^^

 

 

かんながら たまちはえませ

(神の御心のままに それぞれの魂が照り輝いていますように)


『信仰』とは『宗教』の外にあるもの(3)

私の古くからの夢に、「すべての人々のためにある宗教が手を繋いで、それぞれの役割りを敬い合いながら、友愛で結ばれる架け橋になりたい。」というものがございます。

大きな大きな夢ですが、その夢を実現するために、先ずは同じ志の友と手を繋いでいくことをしています。

 

 

一神教の多くは、信仰の対象の神様が唯一の尊い神としての教えがあるため、熱心な信者様ほどなかなか気持ちを外へ向けるという事に抵抗をお感じになるかもわかりませんね^^

 

安心していただきたいのは、私は「宗教を一つにしよう」という思いでこういったお話をしているわけでは決してありません。

 

それぞれの大切な信仰を守りながら、尊重しながら、お互いがお互いらしく輝きながら和を成していく方法は必ずあります。

宗教を問題にせずともすべての人が感性や感情、思考、役割り、人生の喜びなどにおいて唯一無二の存在であるのですから、何か人生に迷った時つまずいたとき道しるべが欲しいとき、自分の感性で感銘を受ける宗教の教えを仰ぐというのは一つの尊重されるべき方法です。

もちろん、目にした広告やテレビから飛び出してきた言葉や歌や映画から受け取ったメッセージを心におさめるという方法もあり、これら万物の励ましを受け取ることは、多くの人が意識せずとも自然にしておられることでしょう。^^

自分の心が軽くなり、生かされる喜びを感じるために、自分にあった信仰を見つけられることは、とても幸せなことです。

 

どんなに偉大な教えも、万人にぴったりと合うわけではありません。

【人々の魂の真の幸福のために】と願うのであれば、各々の自由意志を尊重し合い、他者と認め合い、ゆるし合い、信じ合い、讃え合い、そして頼り合うことが、とても大切になってきます。

これは、宗教に限らず、個人間でも、国家間でも言えることです。

 

競い合い、争い合うために、宗教が存在しているわけではなく、

その正義の仮面を被った攻撃の道具として、神仏は人間に期待しているわけではありません。

美しい調和の中で、生きる喜びに満ちながら精進していくことが命の自然な姿です。

 

一般に「悪魔」と呼ばれる存在も、実は誤解されていて、天使は天上からメッセージを投げかけてくれる存在であり、悪魔は人々と同じ地に降りて親身にお叱りや励ましをくださる存在です。

・・・この経緯をお話ししますと脱線した上に長くなりますので、別の機会にとある物語として大天使ルシフェルがルシファになり、また大天使ルシフェルに戻られるまでのことをお話ししたいと思います^^

 

この宇宙(世界)の中で、人の心にある”利己的な心”以外は、完璧な調和で満たされています。

この”利己的な心”を少しずつでも手放し”利他的な行動”を選択していく”努力”をしていくことが「精進」です。

 

自分の正義を頑に通す、押し付けるというのは利己的な心によるものです。

目の前の人に対して、自分から寄り添い、思いやりながら歩み寄る。そうしていると、自分の学びにも繋がっていきます。

常に相手の幸せを考える。それが利他の心です。

 

私も一人の人間として、すべての人々の真の幸せを心から願っています。

本気でそれを叶えようと思ったとき、そのためには他宗教を含めたすべての存在と協力し合わないと成し遂げられないことを痛感します。

その協力とは、【目の前の人をゆるし、愛し、思いやり歩み寄ること】このたった一つのことなのです。

 

新たな時代に、こういった調和の心で、宗教間においてもあたたかく手を取り合い励まし合い敬い合えるように、目指していけたらと思っています。^^

 

 


紀元節ですね^^

昨夜、FaceBookをチェックしていた際、私も神職になるにあたって修行させていただきました大変お世話になった「石清水八幡宮」様のご投稿に胸を打たれました。

以下原文のままに引用させていただきます。

 

【2月11日は建国記念の日です。
本来は、「紀元節」という神武天皇の即位を奉祝する日です。
本年は皇紀2679年です。
全国各地の神社では神武天皇を尊び祀る、橿原神宮の遥拝式が斎行され、神武創業の精神を祈念する紀元祭が厳粛裡に斎行されます。

初代、神武天皇は日本建国の詔として八紘一宇を發布なされました。

詔(みことのり)
然後 兼六合以開都 掩八紘而爲宇 不亦可乎

(訓文)
然(しかる)後(のち)、六合(くにのうち)を兼ねて以(もつて)都(みやこ)を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いえ)と爲(な)す、亦(また)可(よろしからず)乎(や)

八紘とは「すべての方向」則ち「世界全体」ということです。宇とは「家」ということで、此所に於ける家は家族という意味合いが強い言葉になります。すなわち「家族と為す」という事になります。その意味するところは、「地球上に存在するすべての生命が一つの家族として平和に暮らしていこう」と、日本国の建国を宣言されたのです。
この御宣言を知ったアメリカのエール大学教授のパール・S・ピース博士は「国連発足」時にこの様に述べています。
「人類は五千年の歴史と、二度の世界大戦の惨禍を経験した結果、”一つの世界”を理想とする国連憲章を結んだが、日本の建国者は二千年も前の建国当初に、世界一家の理想(八紘一宇)を述べている。これは人類文化史上注目する発言であろう」(「日本古典の精神」より)
つまり日本建国に於ける理想は、世界が民族の枠を取り払って、互に睦み合い、全ての国々によって世界連邦の都をつくり共存共栄してゆこうということです。今から三千年近くも前に我らが祖先はこのような理想を持っていたのです。
新しい時代の転換期に立つ私たちに必要なことは、悠久の歴史を振り返り、自国の将来とをじっくり考えてみることではないでしょうか。】

 

石清水八幡宮様のFaceBookのページでは、清々しいお写真も拝見出来ますので、是非ご覧くださいませ^^

 

この後に私が一言添えるのも非常に恐縮なのですが、素晴らしいこの日に、私の思いも書かせていただこうと思います。

 

皆さんは、アインシュタインのこの名言をご存じでしょうか?

「常識とは、大人になるまでに身につけた偏見のコレクションである」

私達は、いくつの常識を問い直しもしないまま気が付かずに握りしめているでしょう?

善悪も、正義も、価値観も、千差万別であって当然のこと。

常識は決して「強いる」ものではなく、各々が“納得”して学ぶ中、思いやりを中心に育っていくものがほとんどです。

一つの星で、国家が山ほどあって、「所有」「善悪」「優劣」という利己の概念のもとに争っているのも、宇宙にある無数の文明でも地球くらいです。

というのも、地球は「愛」を学ぶ場所だから。

愛とは何か。それは、「ゆるし」「信頼」「尊敬」「友愛」「共同作業」「共存、共栄」「慈しみ」そういった学びを、先ずは自己へ向け、家族へ向け、地域へ向け、国家へ向け、世界へ向け、敵へ向け、そしてまた自己への愛と回帰するものであります。

自己への愛を正しく育てることで、同じ分だけ外側へ向きます。

自分をそのまま見つめ、受け入れ、慈しむことで、自分の素晴らしさに気が付き、同時にすべての存在が唯一無二のかけがえのない存在であることに気が付くのです。

それは、あらゆる「敵」へも同じこと。

 

今、この学びをこじらせてしまっている地球人が多く、地球環境への配慮も忘れてお互いに苦しみを生んでいます。

 

地球の今数ある国家は、一つの家、一つの家族になるでしょうか?

一つの家族であるために、私達はどうあるべきでしょうか?

本気で向き合い、考え、行動していかないと、地球人類の未来は明るくありません。

 

無理?敵が?言葉が通じない?遺伝子が?攻撃されたらどうするんだ?

私達は、このネガティブな思い込みや偏見を今、手放さなければなりません。

「今」できなければ、未来にはできません。「いつか」は来ません。

 

例え、攻撃されたとして、それが我が身より愛おしい我が子なら、何を思うでしょうか?

我が身を以て、学ばせてやりたい。そういうゆるしと信頼と慈愛を最期まで捨てないはずです。

 

【然(しかる)後(のち)、六合(くにのうち)を兼ねて以(もつて)都(みやこ)を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いえ)と爲(な)す、亦(また)可(よろしからず)乎(や)】

これが我が国の建国の精神なら、日本人として覚悟を決めて敵も愛しましょう。

どんなに考えも価値観も性格も違えど、一つの家族です。

新しい時代の到来に、あなたの精神は、どちらへ舵を切りましょうか?

 

自分の生き方に後悔のないように、そして、困難ながらもいつも希望で溢れた人生であってほしいと心から願っています。

 

完璧を求める必要はありません。無理なくできることで良いのです。

説得もいりません。

「納得して、自らの心が希望を求めること」が何より大切です。

心が通じないときは、悲しまずに万物を信頼して委ね祈りましょう。

 

常識や優劣を手放し、自分の良心に素直に生きていけば、必ず生きとし生けるものは健全な絆で結ばれていきます。

 


おみくじはどのように見れば良いの?

寺社への初詣。

当宮に限らず、「初詣には必ずおみくじを引く!!」というお方は多いと思います^^

 

当宮でも、おみくじについてよくご質問を賜りますので、今回はおみくじについてお話ししたいと思います^^

よくご質問いただきますのが「おみくじってどうやって見れば良いのでしょうか?」というもの。

これにお答えするには、まず、「おみくじとはなんぞや?」からお話しする必要がありますので、どうかお付き合いくださいませ^^

 

《おみくじとは》

万物からは絶えずわかりやすくメッセージが送られていて、見て見ぬ振りや偶然だとして受け取らないのも、そこかしこにいる神を信じて真摯に受け取るもその人次第。

しかし、おみくじというのは誰もが「ご神託をください」とお願いでき、それに対しての「あなたの魂の成長にとって最善のメッセージをどうぞ」という神々からのお返事。それがおみくじなのです。

 

《おみくじを引く前に》

おみくじとは何であるのか?を知ることで、引く際にできることがあることに気が付きますね^^

「私は今、これこれについてのアドバイスをいただきたいです!!」と願ってから利己的な気持ちを捨てて引くと、とっても効果的なのですよ。^^

利己的な気持ちとは何かと申しますと・・・

”自分や身内だけ上手くいけばいい”

”自分や身内が優位でありたい”

などの、自分の利益最優先の気持ちです。

 

 

《なぜ、おみくじを引くのに利己的な気持ちを捨てなければいけないのか》

それは、伝わりやすいように割愛させていただきますと

【神々が、人間に利己的に生きるのではなく、それぞれがそれぞれらしくありながら、どう魂を磨いて成長していくのか。その第一段階が、「思いやり」「歩み寄り」「愛情」であり、それを得て作っていく調和に満ちた世界を期待されているから】

なのです。

自分の都合ばかり優先して生きることを勧めてはおられないために、そういうお気持ちで引くと「思ったような結果が出ない」→「結んで帰る」・「引き直したい」ということになってしまいます。

そもそも、「ご神託」を受け止めずに、思い通りの結果を得るまで引き直すというのは、以ての外です。^^;

大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶・大凶というのは、このおみくじに題名をつけるならばこうであるという概要でしかありません。

同じ大吉の中にも、書かれていることは様々で、大吉の中にも謹むべきことがあり大凶の中にも吉があるように、それだけで判断するのでは、おみくじという【ご神託】を賜る意味がないに等しいのです。

どんな結果でも、神様からのメッセージとして胸に納め、忘れないように御守りとして是非お持ちください。

※おみくじは決して「当たり外れ」ではありませんし、「運勢を占って仕舞い」のものではなく、【自ら命を運び、運を切り開くために神々から贈られる励まし】であることをご理解くださいませ^^

 

《人生の醍醐味》

意外に思われるかもわかりませんが、人生は、困難な時ほど順調なのです☆

困難な時ほど、自分の今を深く見つめることができ、たくさんの経験によって得た今までの学びを自分で試すことができる素晴らしい機会です。

困難や困難をもたらす存在は、敵ではありません。魂を成長させてくれる協力者です。^^

 

それがわかれば、「結果が悪い」と思い込んでいたおみくじの言葉一つ一つ、きっとあなたを励ますメッセージでしかないことがおわかりいただけることと思います^^

 

厳しい言葉も、優しい言葉も、「あなたのために」何を励ましてくれているものか、しっかり胸に納めて、御守りにしていただければ、神にお仕えするものとして大変嬉しく思います。

 

神々を含め、万物は絶えず鏡のように一糸乱れずあなたに寄り添って、メッセージという励ましを送ってくれていますよ^^

 

人生とは、慈愛に満ちた万物との共同作業

その喜びをみつけるための出来事一つ一つが、人生の醍醐味なのであります。

 

今回は、僭越ながら、おみくじについてお話しさせていただきました。

 

 

せめて、おみくじは、おみくじ掛けへ。

 


新たな時代の到来に寄せて

常々、神様にご奉仕させていただいておりますと、すべての存在をも思いながら、「人々にとっての神社の存在意義を通して人々にもたらせる希望」について考えることが多くございます。

 

神仏を敬い、祖先を敬うことの大切さを、きっと信仰心をお持ちの方々はすでに実感されていることでしょう。

 

神社という物質的な結界の中に、物質の概念を越えた存在をお招きしお鎮まりいただくその形態からは、神々からの人間への歩み寄りとご慈悲を感じずにいられません。

私達人間は、例えどこにいようとも、念ずれば神々と通じることができます。

神々は物質を越えた存在で、そこかしこにいらっしゃいますし、私達人間に宿る魂(良心)こそ神の御分霊でもあり良心を輝かせればいつでも神々と繋がることができるのです。

それならば、何故、神社という場所が必要だったのか・・・

 

 

今残っている文明での「社」のことに限って書きますが、古くは神社は各土地又は各氏族のコミュニティーでもあり、そこで縁のある神をお祀りし、信仰を中心に話し合って生活を営んできたその中心が神社でありました。現在における社会の始まりです。

たくさんの節目を経て、社会の中心からは離れた現在の神社の姿があるわけでございますが、原因を嘆くのではなく万物の意思による自然な変化として受け入れ、より良い方向へと歩み続けることこそ大切であると私は考えています。

神社は日本の神気を守る結界としての役割もありますが、同じ人間として何より神々に奉仕する者として、人々と共にどういう世界を創造していくのか。

そんなことを真剣に考えていますと、降りてきたイメージがありました。

 

 

「神社という形態、神仏を敬うというのは決してゴールではなく、大切なのはその先にあるものである」と。

「神仏を心底敬えたのならば、その先には自分を含めた万物の存在が同等に貴く尊重されるべきものとして気付かなければならない」

「万物が調和の中でゆるし合い、慈愛でもって尊重し合える世界の創造こそ人間に期待されている希望である」

「神仏への畏敬は、その入り口に過ぎない」のだと。

 

 

近年は、神棚離れが嘆かれておりますが、世代世代に役割りがあるように、もうそういう段階に移行しているのかも知れないとふと思うことがございます。

無理に「今まで通り」にさせるように尽力するより前に、それぞれが本質を見つめ直す貴重な機会を天からいただいているようにも思えます。

子供達という新しい世代は「希望の種」でしかなく、その新しい「希望の種」が何であるのか、私達は何を新たに授かったのかを肯定的に捉えてみますと、それが変化の波に乗るために必要な「新しい知恵」「新しい生きかた」であることに気が付きます。

宇宙も伸び縮みし、また神々にも学びがあり続けるように、私達人間にも「永遠」はなく、常に変化し続けることこそ存在であり生きるということでもあります。

そして、どんな素晴らしい「伝統」も、変化の中で生まれてきたものです。

どんな清らかな水も、溜めておけば腐ってしまうように、変化という循環の中ですべての過程へ感謝し「世のため人のため」という精神で最善を尽くしていくことこそ、息をし続けることでもあります。

神道でよく言われる「中今を生きる」とは、否定や比較ではなく、すべての経験に意味があると理解して肯定的に捉え、湧き上がる感謝の礎の上にあるものです。

そして、「中今」とは、単なる今というものではなく、時空を超えた特別な空間。意識の働く空間のことで、未来はもちろんのこと過去さえも創ることができるのです。

どのような考えも、価値観も、心も、生まれたての赤ちゃんが成長して行くように常にプロセスにすぎません。そこに否定など不要なように、それぞれのかけがえのないプロセスや体験を讃え合い尊重出来ることができたならば、それぞれが自分らしさを磨く尊さを知り、もっと知恵を出し合えるようになり私達人間にできる創造は可能性を増していきます。

私は、その素晴らしい世界の創造を、和を重んじる民族でもある日本人から始めることができると信じています。

 

答えというものは、常にプロセスです。

その経緯を慈しみ、その答えを導くのを支えてくれた万物に感謝し、常に新たに創造し続ける命でありましょう。

大切なのは今に生きることであり、過去に無理に縛られる必要はありません。

 

「常識」という思考や感覚の制限を打ち破って精神的理解を深めていく時代にすでに入っています。

 

自分たちの意志で!力で!

希望に満ちた世界を共に創造しましょう!!

 

決して大袈裟ではなく、地球の未来は、今、私達の生き方にかかっています

 


八幡宮の境内

只今、八幡宮の境内は、草達が生い茂っております。

 

長年、私宮司の葛藤の末、今年から境内を使用するお祭り前以外での草刈りは一切廃止いたしました。

どのような葛藤であったかを記すことに、反発もご批判もあるかもわかりませんが、是非今「当たり前」だという観念になってしまっていることが見直されるきっかけになれば有り難く思い、記すことにいたします。

私は幼少期から万物の声をよく聞きました。

動物達、植物達、石達、水、星々、たくさんの次元での目に見えない存在。最近は風や物の声も少しですが聞きます。

そんな中、世間で「雑草」と呼ばれる草達を刈り取るのは、毎回胸が引き裂かれる思いでした。

 

もちろん、景観はとても大切で、清々しい境内は神様もお喜びになることでしょう。

そのようなお気持ちで草刈りをお手伝いしてくださる方々には、いつも本当に感謝しております。

 

その一方で、別の思いもありました。

単なる景観という見た目のために、他の命を犠牲にする・・・痛みを与える・・・そもそも草達は「けがれ」だろうか・・・?

現代の人間の価値観は間違っていないだろうかと何度も自分に問いかけては、「やはり間違っている」そう感じずにいられませんでした。

 

 

このような話をすると、まずご理解いただけないのが今の現状ですが、地球は人間だけのものではないことを知っていただくために、正直に言葉にしますが・・・

先の大阪北部の地震の前日、知らせてくれたのは町中の植物達でした。

直前には風も「くるよ!」と知らせてくれました。

 

地震後、境内の草達が話しかけてくれました。

「いつも私達を生かしてくれてありがとう。お蔭で、ここを守れたよー^^」

と心から嬉しそうに。

 

本当にお蔭様で、当宮の被害はほとんどありませんでした。

 

草達のたくさんの強い根が、地盤を強くしてくれて守ってくれたのだと思っています。

田んぼのあぜ道も、草達がいなくては、歩くこともままならないように、草達には草達の役割りがあり、万物はみな支え合ってバランスを保っています。

 

刈られても刈られても、恨むことなく怒ることなく健気に奉仕の心一筋に生きる草達を、神に仕える者として尊重しようと決心しました。

もちろん、神に仕える者として・・・と申しましても、様々な価値観やお考えがあります。

正解不正解などなく、一つの価値観や考えであることをご理解くださいませ。

 

そして、動物達におきましても、生きるチャンスを奪わないことを同じく決心いたしました。

 

今、多くの野良猫達が、当宮にご飯を食べに来ます。

色々なお考えのお方がいらっしゃるとは存じます。

 

しかし、この万物が寄り添い生きる地球を我が物顔で所有し、他の生き物の住処も食べ物も独り占めして奪い続けているのは、私達人間です。

 

自分たちの暮らしのためには、食べ物も分け与えもせず排除するのが常識になってしまっています。人間だけの常識を万物に無理強いしていることに、「常識」の名のもと疑問にも思わないのはとても悲しいことです。

 

時々、「猫が嫌いなお方もいらっしゃるので去勢させてください」とおっしゃるお方もいらっしゃいますが、野良猫達の意見を聞くと、進んでそうしたい猫は一匹もいません。

(飼い猫は別の意思を持っている猫もいます)

 

アレルギーをお持ちのお方のおつらさは大変わかりますが、

好き嫌いと命の尊厳とを天秤にかけてみると、考えるまでもなく答えは出ます。

 

しかし、保健所に連れて行かれて殺処分されることもまだまだある悲しい世の中で、去勢・避妊という苦渋の決断をして生きる機会を奪わないでくださることや、その動物達への深い愛情には同じ人間として大変感謝しています。

現代社会の人間都合になってしまった現状では、到底共存していけませんからね。

去勢・避妊手術の強要も、生まれた命を守る現代における最善の処置であることは紛れもない事実です。

 

今は、確かにそうですが、未来への舵はどちらに切れば良いでしょうね。

 

まず、どうして、万物の内で人間は知恵を授かっているのでしょう?

「人間様」になるためでしょうか?

万物との共存のためにどうしていくべきを考えるための知恵だと私は思います。

皆、好む環境も違いますし、昼行性夜行性にも分かれています。

住み分けをきちんとできるなら、皆、それぞれが気持ちよく暮らせます。

きっと、人間への期待というご意志があってそのように神様は作られたのだと私は感じています。

 

そして何より、私のこの能力は全く不思議なことではありません。

水の結晶の研究では、言霊によって水が結晶の形を変えることがわかっていますし、植物も愛情をもって話しかけるほどに花や果実を実らせ、動物達もこちらのいうことを理解しますよね?

万物は、人間のメッセージを受け取っています。言いなりになるという意味ではありません。あくまで対当です。

人間だけが受け取る感覚を鈍らせただけで、人間以外にはコミュニティーも意思も心もないと思い込んでいるだけです。

木々は地球中で情報を共有しています。

動物達には動物達のコミュニティーがあり、自然との共存の社会という人間よりも進んだ理解での文明を持っています。

草達は、作物が実るために根で土を耕し、微生物や小さな生き物を育み、時に身代わりとなって守る役割りがあります。(作物の栄養を吸い取ると言うのは誤解です。詳しくはノンフィクション映画「奇跡の林檎」を是非ご覧ください)

微生物は、自然界のゴミ処理&リサイクル屋さんです。

人間がそのバランスを崩して自ら害とさせてしまっているだけで、万物に不要な存在など何一つ存在しません。

 

今起こっている災害の多くは、人災です。

地球のサイクルで起こるものが、災害になるかならないかは私達にかかっています。

山も海辺も、本来は他の生き物の住処や、万物の共有財産です。

人間の都合で所有して、災害から守ってくれる存在や危機を知らせてくれる存在を排除してしまえば、感覚の鈍った人間が危機を察知出来ないことは当然とも言えることです。

全ては、人間の利己的な「常識」が引き起こしていると言っても過言ではありません。

 

 

今一度、私達人間は今までの考えや価値観を見直して改めないと、排除されるのは様々な生き物を無惨にも排除してきた私達です。

神々の期待に添えるように、私達自身で未来を作っていかなければなりません。

 

 

このようなわけで、神道から発信していこう!!と、当宮の境内でも、普段は万物達との共有の場であれるように努める所存です。

 

 

どうか、人間都合でなく、神宿る全ての存在への敬意を持って、それぞれがお考え直しいただければ幸いに存じます。

 

 

万物がみな気持ちよく存在を許される世へ。

そして、人間が自然と仲良くなって、災害による悲しい出来事から少しでも回避できる世へ。

 

 

当たり前だった価値観を、共に見つめ直していけたらと願っています。^^

 

八幡宮

 

 


「当たり前」ではなく、「お蔭様」の心を大切に。

当宮は住宅密集地ですが、楠の剪定をなるべくしたくない思いから、近隣への影響が限度と感じる三年に一度の割合で造園会社にお願いしております。

 

この正月三が日で、お一人のお方から「末社・大地主黒竜大神社の奥の一願成就の御神木に触りたいが、その御神木の枝が邪魔で入れなくなったから切って欲しい」というご要望を総代がお聞きしました。

 

当宮の楠は全部で三本いらっしゃいますが、皆さんおとなしく優しい性格で、祟るということは未だ聞いたことがありません。

その代わりなのでしょうか。特に御神木は、入って欲しくない場所には御自身の根を地表に高く盛り上げたりなさったことがございます。

この度も、何度か剪定の時にお断りして切らせていただきましたが、より下部から下部からと枝を出し、今では地表の境目から勢い良く伸びており、明らかに”御意思”を感じます。

 

申すまでもなく、この地球は人間の所有物ではありません。

「何某の土地」というのも、人間だけの世界で勝手に決めたことを、万物に対して声を聞こうともせずに無理に強いているにすぎません。

御神木の件にしましても、少し回っていただければ無理なく触れますし、木の根の保護へのお気遣いがあれば、きっと御神木のご意思にも思いが及んだはずです。

人間にとって「便利が悪い」というだけで簡単に「枝を切る」という発想になる現代の心の麻痺が、非常に残念に感じる出来事でした。

 

私は、草引き(草取り)も好きではありません。・・・決して面倒なわけではありません。

みな同じ命で、酸素を作ってくれる分、人間よりもはるかに万物のお役に立ってくれている草を、何故景観のために殺めてしまわなければならないのか、私にはわからないのです。

理想を申せば、人間の「共存」への意識が人間間だけにとどまらずに、万物の中で生かされ育まれているという命としての謙虚さを取り戻すことで、「人間本意の所有」を手放すことです。

そして、すべてに「神」を見、敬った頃の「こころ」を取り戻す方向へ世界が踏み出すことが、私の人生の大きな目標です。

 

「当たり前」を見直し、「お蔭様」をたくさん見つけましょう。

私達を守護し、育み、見守る存在に対し、身勝手ではなく感謝で応えて生きたいと願っています。

 

八幡宮

 

御神木の剪定におきましては、先住民でもある木々としっかりと対話させていただき、三年毎にお許しをいただいてからとしております。

近隣のお方にはお世話をおかけして心苦しいですが、命あるもののことですから、何卒ご理解賜り、ご容赦いただけますよう、切にお願い申し上げます。

 

 


天然石のお守りを奉製いたしました。

宮司が奉製した天然石の性質を活かした御守の授与が、本日から始まりました。

天然石には種類によって特質があり、同じ石でもそれぞれ性格も違います。

そして石の種類や品質のランクによっても大幅に価値が異なるため、三ヶ日の授与に限り、他の御守の初穂料と同じ600円で授与できる天然石の御守のみを特設の授与所で授与させていただきます^^

一種類だけ、「アイスグリーンフローライト」という大変希少な色の石を10体限定で特別に授与いたします。石自体は珍しい石ではございませんが、この色味はなかなか手に入らないので、年齢問わず勉学に励まれておられるお方や、受験に挑まれるお方に是非お手に取っていただければと思います^^

また、アドバイスの必要なお方は宮司が直接対応させていただきますので、宮司までお問い合わせくださいませ。

 

石は知的物ですので、御守という点では意思を持ってサポートしてくれるため、非常に頼もしい存在でもあります。

自分の指針があってそこへ邁進しているという前提の元、その後押しとして強大な力を発揮してくれるため、努力なさるお方には大変お勧めです。

そして、役目を終えた石は、感謝をもって自然へ還してください。

ただ、石は一度絆を結んだ人のことは永久に忘れることがないほど健気なため、個人的には、持っていて疲れてしまう石以外は、水晶さざれの上などで休ませておいてあげる方法をお勧めいたします^^

 

地球の贈り物の一つである、古来から「霊力」を重んじられ大切にされてきた石にご興味を持たれたお方は、ぜひお手に取ってみてくださいませ^^

もし、何かリクエストがございましたら、お気軽にお声がけください^^

干支の寄せ木お守りも可愛らしいですよ^^

 


形あるものを超えて

先日、少し遠方から御年80歳代後半のご婦人が見えました。
御子息にも先立たれ、御自身がご親族で最後のお役目のために、お元気なうちにきちんとなさりたいということで、神道でお祀りしている離婚した元嫁ぎ先のご先祖の御霊と御霊舎をお持ちになり、ご希望通りに御神前で最後のお祭を執り行いました。

前以てご相談にお越しくださった際、私は留守で主人が御霊をお預かりしたのですが、その報告を受けていると、脳裏に恵比寿様のようなお姿が浮かびます。とってもお優しい福々しい笑顔で後光が差し、小脇にはお魚とお酒を抱え、釣竿も持っておられたので、てっきり恵比寿様だと思ったのです。

お祭の最中、その恵比寿様のようなお方が、「今日まで、本当にありがとう。形は無くなっても、これからも変わらずにそばにいるよ。」とおっしゃるのが私の耳元で聞こえるんですね。

こんなとき、しっかりとお伝えするのが聞いた者の誠意かと、終わってから特徴を踏まえてご婦人にお話ししておりますと、そのお方は別れたご主人のお父様で、すごく可愛がってもらい、何故神道に改宗したかというと、お父様はお魚が大好きで、なんと、、、、お魚を食べたかったから!だったのです。(元々ご先祖様をご供養なさっていらした仏教の宗派では生臭いものはお供えできないとのこと)

失礼ながら、私もこれをお聞きして、思わず笑ってしまいました。^^

釣りも大好き!お酒も大好き!本当に優しい、大好きなお父様だったと。

どおりで恵比寿様と見間違ってしまうほど似ておられたわけですね。^^

そのお姿をわざわざ私にお伝えくださったご婦人の元舅様に、楽しいユーモアを感じます。

素敵なお話を聞かせてくださり、ご縁の素晴らしさや人と人との間に通い合う愛のあたたかさに触れ、私はかけがえのない幸せを分けていただいたような思いがし、涙がこぼれました。

深々とお辞儀をしてお帰りくださいましたが、私の方こそ本当にありがとうございました。


憑依でお困りのお方へ

※まずはじめに、今回は、霊に取り憑かれやすくてお困りのお方へ宛てた記事となっております。

どうか、ご了承くださいませ。

 

 

近年、スピリチュアルブーム等によって、当宮でも憑き物を祓って欲しいと御祈祷に来られる方が時々見えるようになりました。

 

私も、元々は何体も同時に入られてしまうようなものすごい霊媒体質で、取っても取っても憑かれ、天を仰ぐと順番を待つかのようにおびただしい数の霊体が渦巻き、絶望を覚えたものです。

 

本当につらいですよね。藁にも縋りたくなるほどの思い、よくわかります。

同じ人気者なら、素敵な人に好かれたい。それもよくわかります。

冗談はさておき、そんな状態だった私が、今は一切憑かれることがありません。

その頃には想像もできなかった嬉しい事態です^^

 

繰り返される憑依の根本的な解消法について、私の経験に基づくものですがお伝えしたいと思います。

 

 

そもそも、霊体というのは特別な存在ではありません。

この地球は生きている人間のものだけではなく、目に見えずともたくさんの神々や天使、精霊、妖精、霊獣なども、住む世界(次元)を分けて「共存」をし、同じ空間を共有しているようなものなのです。

ドアのような明確な境はないために、磁石が引き合うように、そのときの精神のあり方(感情・思考)と等しい対象の存在と通じます。

乱暴に結びつけると、愛情や慈愛は神々や天使や精霊などの私達の守護者と通じ、利己的な感情や攻撃性や妬みなどは私達を苦しめようとする存在と通じます。

 

即ち、良くないものに憑かれるときは、大抵自分の思考や感情に問題があります。

私の場合、「同情」と、「正義」でした。

同情と正義に何故問題があるか。

人生は、自分の責任で生き抜くものであり、その因果に偶然はありません。

そこに同情するのは、誰の為にもならず、結局は相手の真の幸せより自分の偏見や感情を優先しているにすぎません。

同情するより、肯定的に捉え、希望を持って接すれば良いのです。

正義もまた同じことで、悪を生み出す思想という側面も持ち合わせていることを理解していないと、時に強い正義感は攻撃性を助長することとなってしまいます。

 

心の底から、相手の幸せを信じ、深い愛と強い意志を持っていれば、まず寄って来なくなります。

それでも来てしまうときは、友人に言うように「帰ってね」と意志を伝えましょう。

これは、経験上、ややこしい悪霊のようなものでなければ100%帰ってくれます。

 

 

そして、

霊体と言うのは、エネルギー体です。

私達もまたエネルギーを常に放っています。

自分の思考からのエネルギー、感情からのエネルギー、身体からのエネルギーこれらは常に等しく、その質と同等の他のエネルギー体と引き合っています。

病気は、魂(良心)からのサインであり、思考や感情を見直すためのメッセージでもあります。

素直に改めることで、悪いエネルギー体から疎遠になり良いエネルギー体と引き合っていくようになります。

心の習慣を変えるのは、とてつもない労力を要し長い道のりですが、努力すれば必ず前には進んでいるものです。

今は光も見えずにつらいと感じる体質でも、プラスに転じれば素晴らしい体質だと思える日が必ず来ます。

是非、天使や鳳凰や龍に好かれる自分作りをしていってください。

 

 

 

 

 

そして、どうしても困った時には、産土神様や氏神様にお願いしましょう。

(基本的には、日の出から午後3時までの参拝をお勧めします。)

「自分と向き合う覚悟」と「他者への愛」があれば、神様は必ずお聞き届けくださいますよ^^

 

今回は根本的な憑依対策にクローズアップいたしましたが、エネルギーの法則は万物に通ずるものですね^^

 

お困りの時、是非とも参考にしていただけると嬉しゅうございます^^

 

 

 

皆様の素晴らしい未来を信じています。

 

 


地球にまもられて

近年、深刻な環境汚染などの地球の悲鳴を受けて、他星への移住を視野に入れた惑星探査のニュースを頻繁に目にするようになりました。

 

それ自体を否定する気はありませんが、

その発想の前に、私達にはクリアしないといけない問題があります。

 

申すまでもなく、地球は物ではありません。生命です。

地球上のすべての生命は、地球という母なる生命にずっと等しく守られ、育まれてまいりました。

その命の母を自分たちが散々苦しめて、自分たちがしたことへの後始末をせずに使い捨てるように出て行くという発想では、別の星に移住したところで同じことを繰り返すだけになってしまいます。

地球上には植物、動物、水、鉱石、虫、菌類など、たくさんの生命が生かされています。

人間は知恵を授かり、「万物に神が宿る」として万物を敬い大切に扱ってまいりました。

科学で証明がなされるなされないに拘らず、人智を越えた存在として、あらゆるものに神の姿を見出し丁重にお祀りしてきました。

(この今でも受け継がれる神道の精神にもある考え方は、一宗教にとどまらず人類の道徳として広まって欲しいものでもあります。)

 

私達は生きる為にやむを得ず多くの命をいただいていますが、その命が口に入るまでにどのようなストーリーを歩んできたのか想像したことはあるでしょうか?

繰り返しますが、地球上のすべての生命は、私達人間と等しい何ら変わりない生命です。地球にとって我が子同然です。

人間がそのことを受け止め行動に反映されるだけで、守られるものや保たれるバランスがあります。

 

地球を苦しめるのは、環境汚染に限りません。

物として乱暴に扱われる命の悲鳴、人間同士がいがみ合う悪想念、そういった目には見えずとも私達でさえ感じる不快なエネルギーは、地球が吸収し私達を癒し守ろうと力を使っています。

時に反発や浄化、バランスの維持のために自然災害を起こしながら、すべての命を守るために頑張ってくれています。

それでも、災害の前には、自然と共に人間へも前触れとしてのサインを必ず出してくれています。

 

この地球でこれからも住まわせてもらうために、まず私達人間がするべきことは、

より高い堤防を作る為に砂浜を失くすことではありません。

失なったものばかり見て、不満を言うことではありません。

動物達の生活を一方的に奪って、尚且つ害獣として扱うことではありません。

 

地球の示した意志を真摯に受け止め、地球へ住まわせていただいていることへの姿勢を改めることが、まず初めにするべきことだと思います。

 

近年、すごく災害が増えています。

私個人としても、毎日感謝と祈りを捧げておりますが、地球が非常に疲れてきているように感じています。

 

祈りの力は絶大です。

お心のあるお方は、是非、母なる地球やご自身を含めた万物に感謝と祈りとを捧げてください。

今、大変弱っている地球の再生の力に必ずなります。

 

 

私達人間同士で問いかけ合い、気付いた人から一人一人が発信していかなければならない時代に入っているのではないか?

かつて八紘一宇の精神で国づくりをなされた神武天皇様のように、宗教や信条の垣根を越えて、認め合い讃え合うことが、次世代の世界的な課題になっていくのではないか?

いつか、神道に息づく和平への思想が人類の道徳となることを期待し、個人的に強く感じるところあっての発信でございました。

(※決して、宗教の否定や神道の押し付けではありません。)

 

お受け取りくださった皆様方、心から感謝申し上げます。

 

掲載画像 © GoiPhoneWallpapers.

共に感謝を捧げましょう


『信仰』とは『宗教』の外にあるもの(2)

最近の風潮で、非常に気になるものがあります。

それぞれの正義がぶつかり合い、相容れぬ相手への批判が過剰になっていく傾向にあることです。

なぜ気になるかと申しますと、私が記憶してきたり史実から感じ取ったりしてきた「日本人」のあり方と随分かけ離れてきたように思い、現代の社会に狭量さすら感じるからです。

 

神道の素晴らしいところは、すべてを「お客様」として迎え受け入れる精神にあると言われます。

日本は、歴史的に見ても、仏教やキリスト教をはじめその他新興宗教に至るまで、共存できる類い稀なる国家です。

それは他でもない、神道にも表れる「日本人の寛容の精神」があったからこそ叶うものなのかも知れません。

 

そして私個人として感じるのは、神道の根本にある万物を神と拝む姿にある

自他の区別のない「和合の精神」です。

 

そして、日本のこの素晴らしい精神は、連綿と続いてきた国の形にありました。

これには神話をお読みいただく必要がございますが、

天皇陛下の御存在です。

民を元首の意向だけで支配するのではなく、民と歩み寄り共にあり「治める」お姿。

そのような唯一無二と言っても過言ではないお蔭と、素晴らしい国の形が、

私達日本人の遺伝子の記憶には受け継がれているのです。

 

日本人には、他の国にはない、寛容の歴史があります。

自分と違うものを認め、尊重できる力です。

その力は、どのようなことをも「感謝に変えられる力」です。

 

物事には、必ず多面性があります。人もそうです。

正義もまた、立場によっては悪にもなり得ます。

正義も善も悪もそれらは本来魂の指針によるもので、自らの内にあるものが映し鏡となって自らに起こります。

万物はすべて表裏一体で、

立場や見方が違うだけで善が悪となることもあれば、悪が善となることもあり、

同じ物事でも、光の部分が目立つときもあれば、影の部分が目立つときもあるのです。

 

それらは、宇宙の初め、天之御中主大神がお現れになり神産須日大神と高御産須日大神が続いてお現れになった時、外へ向かう力と内へ向かう力とによって世界は生まれたと読み取ることができます。

自他に分けると、相反する勢力は悪になってしまいますが、全体を見るときすべてはバランスとなってそれぞれの役割を担っています。

その真理に触れれば、きっと穏やかに自らの役割や進むべき道が明らかになるのではないでしょうか。

たった一つの面だけを見て批判し、排除してしまっては、ただ見えなかっただけの多くの面の可能性をも失ってしまうばかりか、その存在価値さえも奪ってしまいかねません。

 

日本は、もっともっと精神の豊かな国です。

次世代の素晴らしい可能性を持つお子達が、皆様に寛容に見守られながら健やかにお育ちになり、

それぞれがそれぞれを思いやり、愛情を育み合い、新時代の到来にこの国の豊かな精神を取り戻していかれることを心から期待し、

私も微力ながら道しるべとなれるよう努力し、皆様と共に見守っていきたいと思います。

 

今日は、和合の精神からの信仰のお話をさせていただきました。

最後までお読みくださり、誠にありがたく存じます^^

 

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肉体を持ち生かされる喜び(子育ての日々から)

今日は、肉体を持ち生かされる喜びの共有になればと思い、母目線の喜びを通してお話ししたく存じます^^

一人の新米母と談笑するようなお気持ちで、肩の力を抜いてお読みくだされば幸いでございます^^

私達夫婦の間に、娘を授かって早二年を迎えようとしています。
娘を運んで来てくださった神様や先祖、娘本人、夫や夫の家族、それから縁ある万物のお蔭で、こんな未熟な私も母にしていただけて、日々娘を通じ人間の素晴らしさに驚くばかりです。
最近娘にも芽生えはじめた自我。
精神世界では、よく自我を捨てて真我をと言われます。
しかしながら、この自我こそ、娘が生まれた所以であり、人生のあらゆる岐路で、真我によって見極め自我によって選び取るのだと、私は昨日、閃くように知ったのです。
反抗期やイヤイヤ期とも言われる、多くの親御さんが手を焼くこの時期。
娘はまだまだ軽度でありますが、私も例外ではありません。
でも、その大変さを凌駕して大きな大きな喜びがあります。
娘の自我が愛おしくてしょうがなくて、何があろうとも最後の最後まで可能性を信じ、育て、見守りたいと願います。
この母の思い、湧き出でる慈愛は、きっと万物の御祖である神々も同じこと。

私達は、無償の愛を輝かせるとき、神々の御分霊が自らの内にもあることを確かに感じることがあります。

自我は、肉体と共に与えられた、「生」の内にあるものです。
捨てるのではなく、コントロールしバランスを取ることが大切ですね。
それが、自分自身が生かされ生きる所以であると思います。
神様からの贈り物に、不要なものなど1つとしてないのですからね^^
たまに現実世界を離れて、精神世界こそ宇宙意識だ高次元だという思想に出会うことがありますが、
そのような言葉を借りるならば、この現実世界も、紛れも無い宇宙意識の一つです。
肉体を蔑ろにすることが、宇宙意識ではないはずです。
何事も、バランス。そのコントロールが肝心ですね^^
肉体を授かり生かされる間は、今こそ出来ることをしよう。
精神を磨くことにおいて、体験に勝るものなし。
生かされ生きる喜びは「今あるもの」を大切にするところにある。
生きるって、肉体って、本当に素晴らしい!!

そんなことを子育てから教えてもらいました。

感情を持つ人間にとって、子育てがいかに人の精神を豊かに育て、得るものが大きいかを、日々感じております。

最後までお付き合いくださり、誠にありがとう存じます^^


祈りを忘れず。

 

皆様、こんにちは。

なんと週末は30~40年に一度とも言われる大寒波が西日本に押し寄せるようで、数日前からすでにその余波がやって来ていますね。職場でも自宅でも暖房器具が頑張ってくれています。

どうか、決して御無理な行動はなさらず、温かくしてお過ごしくださいませ。

 

 

 

さて、今日は、祈りと願いとの話です。

 

皆様は、神社や寺院でお祈りを捧げられたり、願掛けをなさったり、あるいはどなたかを思って祈られたり、きっといくつものご経験がおありかと存じます。

 

その「祈り」と「願い」とは、実は別物であるということをご存じでしょうか?
または、それぞれの意味について、考えてみられたことはおありでしょうか?

私は、職業柄よく考えます。というよりは、感じ取っていると申し上げる方が正確かもしれません^^

 

祈りとは、私達が大いなる存在と周波数を合わせる努力をすることで、大いなる存在から私達に合わせてくださり、意識が繋がり対話し、本来の人の姿である尊い利他の心で、その高次元に相応しい事象を引き寄せるもの。

例えば、感謝を捧げたり、世界中の平和や世界中の人の幸せを祈ったり、事故や事件で被害に遭われた方々の心身が癒えるように、又亡くなられた方々のご冥福を祈ったり、地球が癒えるように祈ったり、このように無償の心・利他の心で、大いなる存在とつながり叶えようとする行為が祈りです。

 

願掛けとは、こちらの希望を汲んでいただくことで、願いに到達するための試練を乗り越え、対価としてお返しをする心構えを持ち、願いを聞き届けられるのを待つもの。

例えば、一年家族共々健康で過ごせますようにと願ったり、自分や家族、または友人の病気が癒えますようにと願ったり、希望の学校へ入れますようにと願ったり、広義での自分の欲求のためにお願いする行為が願掛けです。

そこには「対価」というものが発生し、何かを得る願いに対してはお金であったり品物であったり、健康への願いに対しては仕事であったり奉仕であったり、縁結びに対しては御縁の整理であったり誠意であったり等、

「自分自身の人生においての、A(対価としての試練)を学ぶためにA’(願い)をください。」というのが基本の在り方です。

何かを願うとき、その願いを叶えていただいたら私はこうしてお返しをする!というお気持ちがあり、尚且つその御守護に向き合うお心があれば、そのための試練と成就は用意させるということになります。

例えば、大学入試。最善の努力(守護と向き合う行為)はあった上で、何故その大学に入りたいのか、その大学で何を学び(対価としての試練の基礎)、その学びをもってどう社会や人に貢献したいのか(対価としての試練の応用)等、明確にしてからある種の覚悟を持って臨むということです。

言葉にしますと、とても厳しいもののように感じられますが、ただ目の前のことを大切に、一所懸命に取り組むこと。試練を前向きに捉えて努力すること。そうしているうちに、目的は一つ一つ成し遂げられていきます。

それに、ただ漠然とお願いするよりは、きちんと目的を持ってお願いすることで、人生に緩急と透明感が出てくると思われませんか?^^

 

真心は、必ず神に届く。

今迄たくさんの御祈願をご奉仕させていただいて、自信を持ってそう言えます。

 

ただ、願っただけで努力を放棄したり、又は神様からの贈り物が、自分の望んだものとは違ったりした時に、人は用意された機会を見送ってしまいがちです。

神様は、人を甘やかすために願いを叶えるわけではありません。

大きな親心で試練を用意し成長を見守ったり、手助けとしてたくさんの機会を与えてくださいます。

 

ですから、どのような些細に思えるものでも「宝」と感謝し大切にできる心こそが祈願を成就させるコツであり、今を大切にすることがよりよい未来を作ります。

「足るを知る」
それは、我慢をしろということではなく、よりよい自分自身を引き寄せ創造るものだと私は思います。

 

人は、最期の時、必ず「愛」と「奉仕」について反省するそうです。
そうならば、それが人の本来の姿であり、産まれてきた目的です。
「自分に何ができるか。」まずは、それがあってこそなのですよね^^

 

私個人的には、願いより祈り。

神様の御心はどこにあるのか、そこへ自分自身を寄せていくことの方がよっぽど幸せな生き方であると思っています。

何かを願う時、その願いは神様に祝福されるものであろうかと、そっと祈ってみてください。

繰り返すたび、きっと人生や「願い」の価値が変わることだと思います。

 

願うことは、決して悪いことではありません。

しかし、どのような時も、祈りを忘れずに。

 

豊かな人生のために、私はお勧めいたします^^

 

 

八幡宮


七五三まいりの由来

今日は、七五三詣りの由来についてお話しいたします。

近年、一括りに「七五三」と言われ、満年齢でお詣りになられることも多くなりましたね。

男児は数え年の三歳と五歳、女児は数え年の三歳と七歳の11月15日に、お住まいの産土神様・氏神様へお詣りなさるのが習わしです。

(当宮では現在、ご都合に合わせて10月下旬から12月初旬まで承っております。それ以降にお詣りをご希望の場合も遠慮なくご相談くださいませ。)

 

三歳のお祝いは、「髪置きの祝い」と言われ、赤子の髪型から子供の髪型へ変わる行事。

五歳のお祝いは、「袴着の祝い」と言われ、男児が初めて袴をつける行事。

七歳のお祝いは、「帯解きの祝い」と言われ、女児が子供用の柔らかい帯を解き、大人と同じ固い帯に締め直す行事。

このように、それぞれの意味がございます。

 

つい百年程前までは、子が無事に成長できずに尊い命を亡くすことも、決して少なくありませんでした。

祖先や先人達は、こうして頻繁に、子が無事であることを感謝し、この先もどうか元気に育ちますようにと祈り願ってこられました。

祖先や先人達のこのような親心があり、祈りがあり、たくさんの御守護があり、その歴史の上に今日の私達が存在します。

大切に受け継がれてきた日本の祈りは、私達もまた子へと伝えていかなければならない、生命の財産でございます。

 

私もまた我が子を思うように、皆様の大切なお子様方のこれからを思い、お一人ずつ御祈願させていただいております。

 

八幡宮

 

御境内の楠が、年を重ねるごと緑が加わるように、

お子様方が、たくさんの感謝と祈りの中で、大切に大切に人生を歩んでいかれますように。

 

 

 

 

 


継子投げの岬

すっかり秋めいて、風が清らかに感じられる季節となりましたね。

なかなか更新できず、申し訳ありません。

 

今日は、母親の歴史をお話ししたいと思います。

 

皆様は、継子投げの岬という場所をご存じでしょうか?

 

クジラで有名な和歌山県の太地町。

そこに、その岬はあります。

 

恩師も、私の先祖も、和歌山県の出身で、この「継子投げの岬」にまつわるお話はよく聞きます。

これは、まだまだ女性の地位も低く、子を産むだけの存在であった頃のお話です。

 

和歌山には、「子を貰うと子宝に恵まれる」そんな言い伝えが古くにあったそうです。

子を生まない女性は「産まず女(うまずめ)」と呼ばれ、離縁されることもしばしば・・・。

結婚は家や子孫の繁栄のためのものでありましたから、女性は子という存在によって家に置いてもらえ、子に恵まれることに必死でした。

それが、「生きる」ことでしたから。

ところが、子に恵まれない女性はやはりいます。

戦争等もあり、栄養面にも苦労する時代ですから当然です。

そういったお家は継子をもらいます。

そして、その子を我が子同然に愛し、育てているうちに、言い伝え通りに実子に恵まれます。

 

母としては、どちらも我が子。優劣等つける事ができません。

しかし、嫁にはそれを言う事も主張する事もできない時代でした。

 

多くのお家が、貧しいながらも家を守っていましたから、跡継ぎはとても大切でした。

ある日、舅・姑から、「継子を捨ててくるように」と言われます。

当時、命令と同じですから、逆らえば自分が出て行かなければなりません。

現代と違い、嫁に行けば実家には二度と帰れない時代。女性が仕事を貰えない時代。

それは、死を意味していました。

ほとんどの女性が、人目につかない嵐の夜を選ぶと言います。

どうか来ないで欲しいと願った嵐の日。。。

母は継子を連れて出かけます。手をつないで、嵐の中を行きつ戻りつ。。。

「この子をこの山に生かしたところで、育てる人もない。飢えて死ぬ事ほど苦しい死に方もない。

私が拒絶してこの子を守ったところで、引き裂かれ二人とも捨てられてしまう。

私も一緒に死んでしまおうか・・・しかし、もう一人の子を残して逝けない・・・。」

 

意を決して岸壁にたどり着くと、思い切って投げ落とします。

その後はどうやって家にたどり着いたのか。。。

 

その後、どんなに年月が経っても、嵐が来るたびに、雨風の音が、その子の泣き声に聞こえたそうです。

犠牲になったのは、その子だけではありません。

その母も、養子にくれた生みの母も、時代の犠牲でした。

もちろん、太地町だけのお話でもないはずです。

同じ女性として、聞くに堪えない史実で、初めて聞いたとき嗚咽がこみ上げました。

今でも、その女性達や奪われた命を思うたびに、痛いほど胸がしめつけられ、涙がこぼれます。

そういったたくさんの女性達の苦しみの上に、今日の女性の地位があることを、女性は忘れてはなりません。

 

罪悪感にさいなまれるわけでもなく、抱きしめるたびに奪った愛おしい命を思い出すわけでもなく、

「我が子を、ただ愛おしくて抱きしめること。」

そんな普通のはずことが、出来ない時代がありました。

 

私たちは今、大きな心配もなく、目の前の命を抱きしめることができます。

その幸せは、当然ではないのです。

 

様々な因縁によって、虐待を経験されたお方も、心とは裏腹に虐待をしてしまうお方もいらっしゃることでしょう。

この歴史は、どなたの遺伝子の中にも残っているはずだからです。

 

大丈夫です。もうそんな時代は来ません。

 

ですから、つらい時ほど、目の前の愛しい存在を思いっきり抱きしめてあげてください。

愛しい存在のためにも。
そして、ご自身のためにも。

 

今、女性は、他に何もいらないほどの大きな幸せをすでに得ていることを、
社会でつらいとき、子育てに疲れたとき、思い出していただけたら幸いです。

 

思い切り抱きしめることのできる幸せ。

私も、日々噛み締めようと思います^^

 

八幡宮

 

 


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