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惟神之道

日本人には、森羅万象への畏敬の念が古くから備わっていました。
自然界の声を聞いてきた、また聴こうとしてきた民族であったと言えます。
神道とは、そういう民族が伝えてきた【道徳】であるのだと個人的には思っています。

かつての日本人は、目には見えないけれど、確かに感じるもの。それらを非常に大切にしてきました。
今尚受け継がれる祭祀や古い祝詞にその形跡を見ることができます。

全国の神社や祠の起源に、人々はどうやって神々の降臨を感じたのか、今もそういった感覚を持つ人は神々の存在を確かに知り、中にはその起源を辿ることができる方々も少なからずいらっしゃることと思います。

この国の歴史には絶えず、【祈り】がありました。

現代は、祈りといえば「宗教的な行為」と誤解されますが、そうではありません。
祈りとは、森羅万象万物と人とが一体となった耳には聴こえない音楽のようなものです。
願いとは異なり、祈りは一方通行では成立しません。
だからこそ、【森羅万象の声を聞く必要】があるのです。
ちっぽけで無力な人間が、森羅万象の真意を訊ねる【謙虚な姿勢】が、祈りには欠かせません。

森羅万象には利己はありません。祈りは、利他の精神で共鳴し一つになり、成立します。

神々に祈りを捧げる時、聞き届けられる時には金色の光の梯子が降ろされ、繋がります。
その梯子を架けていただけないときには、天へ聞き届けられる内容になるまで妥協点を感じ取りながら探します。
神々の真意は何か、聴こえる者も修行ですので、初めから答えをいただけないこともあります。

例えば、よくあるのが厄除のご祈祷の際に、ご本人が事故にあって骨折することが事前に分かった際、「事故を回避できますように」と聞き届けられることもありますし、聞き届けられない時もあります。聞き届けられない時に、何故かとお伺いすると、「その事故によっての気づきが、その先のもっと大きな事故を回避するきっかけとなるため」だったりするからです。
その時に、中執り持ちとして、可能な限り妥協点を探します。(結構毎回必死で探します。)
「私から、どうして事故が起きるのかの心得をお話しします。それを真摯に聞き入れてくださったらこの事故を回避していただけますか?」とお伺いして、もう一度お祈りします。お言葉で念押しされることもございますが、それで、金色の光の梯子が降りてくれば聞き届けられたということです^^(私にそんなこと言われたなぁとお心当たりのあるお方もいらっしゃるのではないでしょうか。笑)

祈りが「成立」するには、万物の真意を知らなければ、方向性はおろか妥協点も見出せないのです。

今、世界中が、新たな疫病の蔓延に困っています。

なぜ、この疫病が生まれたのか、心の耳を澄ませて真意を知らなければ、疫病収束への祈りは「願い」でしかなく、天には届きません。
人間本位に作ってきた社会を、自分たちが持てる力全て使って、まずは人類同士が争わなくて済む社会、全ての存在のことを考えた社会にしていかなければ、天災からは逃れられません。
変わらずに済ませようとすることや、元に戻すことにこだわり続けるのは、森羅万象からの「耳には聴こえないけれどあらゆる方法で常に託してくださっているメッセージ」を無視し続けること同じです。

生きることは、「変化していくこと」です。
「間違いに気づき、改める勇気」こそ、未来を輝かせる力です。

私は生まれた時から神様が視えました。生まれる前に、入院中の母の元へ大きな白い羽を背中に生やしたお爺さんに案内してもらって、一緒に木の枝に立って母の様子を見ていた時のことも覚えています。
視えるのは神様だけではありませんが、口数が少なくわざわざ話さないものですから、これらの存在が人にはあまり見えないと知ったのは、小学5年生の林間学習の時に私が見えているものを指差しても誰も見えずに不安がらせてしまった出来事があったからでした。ですから、私は神様や目に見えないものの存在を疑ったことは一度たりともありません。
私自身が出会ったことのない存在も、疑ったことはありません。

そして、神様が人類に望むものも、お言葉と共に肌身で感じてきました。

神々は、人間に都合の良い願いを叶えるためにいらっしゃるのでは決してありません。
魂の親のように、精神的な成長を信じ、期待し、その【実践の場】として森羅万象が協力し、様々な事象をお与えくださいます。

自然災害も、人工災害も、幸運に感じる出来事も、不運に感じる出来事も、一人一人それぞれに、寸分の狂いも偶然もなく、「霊的成長への期待」という真意の元、お与えになります。

この疫病という事象を、人類が乗り越えるには、疫病が生まれた真意に自らの心を寄せていかなければなりません。

でも、どうすれば?と思われるお方も多くいらっしゃるのではないかと思い、疫病が流行りだして数ヶ月後、世の中の流れを見て、長い混迷の中でいつか何らかの「きっかけ」になればと思い、下の記事を書いておきました。

神職が能力を使うことを嫌うお方もいらっしゃいますが、こういった能力は特別なものではなく、歌がお上手なお方や、絵がお上手なお方がいらっしゃるように、「人々のお役に立てるように」と天からお預かりしている道具の一つですので、腐らせるわけにはいかず、これからも「お預かりもの」として大切に磨き、世の中のお役に立てるように使わせていただきますので、「自然なもの」としてご理解いただけますと幸いに存じます。

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「神道は感じる宗教である」とよく言われます。

無理にカテゴリーに分けますと一応宗教法人ではありますし、時代の流れを汲んだ言い回しかと思いますが・・・私は神道を宗教だとは思っていません。
森羅万象の声に耳を澄ませ祈ることは、自然な【命としての道徳】であり、宗教などの組織とは何ら関係のない、何の資格も条件もいらないものだと思っています。

キリスト教徒だからできない、仏教徒だからできない、イスラム教徒だからできない。そのような性質のものではないのが神道という、神の御心のままにある道です。

神は、森羅万象の預言者(言霊を預かる者)でもあります。神が森羅万象を操るのではなく、全てが一体なのです。

今回は、「ウイルス」という形で、神様はお姿の一部を顕しました。

その親心に、どう向き合うか、今、それが問われています。

これまでの慣習に甘んじるのではなく、痛みを伴ってもよりよい世界の構築を目指して、他の存在と共存していけるように本気で尽力していかなければ、この人類には未来はありません。
これは脅しではありません。身勝手になってしまった人類への万物からの最後通告です。

それは、一人一人が、これからの人類の未来の一端を担うという自覚を持って、人や何かのせいにして受け身でいるのではなく、他者や他の存在のために自分が何ができるのかを、今すぐに本気で考えて行動してみる必要があるということです。

森羅万象の声に人間が応えることができた時、不思議なほど簡単にこのウイルスは姿を消すそうですよ^^

ただ、今のままでは程遠いのも悲しいところです。このウイルスの次には、もっと厄介なウイルスが用意されているため、数年なんとかやり過ごすという考えではなく、生活や社会自体を変えておく必要があるのです。
このまま、日本は被害が少ないからという理由でこの猶予期間をのらりくらりと使い切ってしまえば、今よりつらい状況を人類自ら招くことになります。

政府が推し進めている社会のIT化、イギリスと結んだ協定に、どれだけの人が向き合っているでしょうか。
森羅万象の声を聴く人は、もちろん国の中枢にもいらっしゃいます。
日々の中で、未来へ向けてのヒントをたくさんいただいています。

なぜ、日本人に被害が小さいか不思議に思いませんか?神々は、日本人が日本人に受け継がれてきた、超感覚を取り戻し、思いやり、和の精神で一丸となって乗り越える姿を、お手本として世界中に見せて欲しいと願っておられたからです。

しかし、現実は、エビデンスしか見れない方々や、屁理屈や理屈を言って改める気持ちのない方々や、自分さえ良ければ今さえ良ければと変わろうとしない方々、命を軽んじ経済を重んじるような優先順位も見失った方々で溢れてしまったことで、日本の状況は一年前とはすっかり変わっています。

それは、罰ではなく、神々が人間の行動である「因果」を元に、人間に「与える事象」が変わったからです。
神々から人類に与えられる事象というのは、人類の行動が「因果」となり、常に変動します。
ですから、常に心の目で見て、心の耳で聴き、良心で感じ取り判断していかなければ生き残れなくなっているのも事実です。

人は間違います。悩みます。迷います。それで良いのです。
大切なのは、間違いに気付く素直さ、間違いを認め改める勇気であり、些細な悩みにも真摯に向き合い解決する日頃からの鍛錬が、迷った時に良心で判断ができる力になっていきます。

今、「目に見える被害」が少ないからと言って油断していては、この先もっと大きな災いという形で学ぶことになります。

物事の規模が小さなうちから、本質を踏まえ真摯に向き合ってしっかりと解決をするという姿勢は、霊的成長の機会である人生の基本中の基本です。

それぞれの立場の方々が、それぞれに悩みながら日々決断をし、尽力しています。
政治家と一国民とは背負うものも責任の重さも違うように、一国民からは政治家が抱える全容は知りたくても知ることができません。それができる人なら、すでに政治の世界へと万物に導かれているはずです。「こちらを立てればこちらが立たぬ」というように、政策には必ず穴ができます。完璧に何もかもを叶えることは不可能です。同じ人間なのですから、どんなに一所懸命でも間違うことはあります。
一国民が、ただ、自分や家族の安全をしっかり守る自立した行動をするだけで、その穴に回せる余力が生まれます。政治が間違っていると感じていたとしても、国民一人一人が他者への負担をなくす行動をするだけで、国民を救うことができるのですよ。

一人の行動や一人の力はちっぽけだと思うかもしれません。

しかし、今日一人が取りやめた会食によって、その相手やご家族、その方々に派生して関係する多くの人々の安全をほんの少し守れます。その逆もあるのです。

一人の判断や行動が、世界を変える力があります。

ご自身が懇意にしている飲食店が倒産の危機にあるなど、心苦しいこともあります。しかし、本当に存続して欲しいなら、食べに行くのではなく、食べたつもりで寄付をするという手もあります。本当に存続していきたいなら、数年は諦めて店を閉め、終息後に改めて始めるという手もあります。

自分自身の希望と、社会全体の負担を見ながら、妥協点を探すのも良いのではないでしょうか。

このコロナ禍は地球人という集団に起きたことではありますが、全員が「自分の身に起きたこと」「自分が万物から授かった事象」であることを、受け止め見つめ直す時期に来ていると思います。

人のせい、政治のせい、環境のせいではなく、今自分の身に降りかかっている事象こそに、一人一人に託された森羅万象からの声があります。
受け身になって被害意識を持つのではなく、自分自身のこととして責任を持って考え、しっかりと耳を澄ませてみることをやってみる価値はあると思います。

万物の声が聞こえなければ受け取れないかというとそうではありません。ふと開いた本のページ、ふとつけたラジオやテレビ、目に入った文言にメッセージは託されます。意識的に答えを探しては自分の求める言葉しか目に映らないと思いますが、無意識で飛び込んできてハッとしたものがあれば、間違いなくメッセージです。
メッセージは、能力にかかわらず平等に受け取ることができます。

理論や理屈、証拠など、それが確かなものだと思っておられるお方も多いですが、それらは森羅万象の前では「過去の小さな欠片」にしか過ぎません。

もっと大きな視野で、感覚を磨いて感じ取る世界は、未来や他の世界線まで目に映る多面的な世界です。
それを今の科学力で証明することはできません。証明する力がないだけで、そのもの自体がないということとは違います。

自分自身の感覚を磨き、良心で判断する練習を、日常の出来事からはじめてみると、驚くほど自分に起こる事象は変わっていきます。
是非挑戦し、まずは体感してみてください。

自分の世界が変わるのはもちろん、人数が増えれば増えるだけ、集団が招く事象も必ず変わっていくことでしょう。

良いようにも悪いようにも状況を変えるのは、私たちの意識=行動一つなのです。

唯物主義に傾き、忘れ去られてしまった神道の精神「日本人の道徳」を、日本に取り戻せると信じ、この記事を書かせていただきました。

今はご理解いただけなくとも、これから数年かけてますます時代が動いていく中で、人生を見つめる際の「きっかけ」として活用していただければ幸いに存じます。

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