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御神木への参拝・お賽銭は「大地主黒龍大神社」へ

御神木のお社は、御神木の南側に隣接する大地主黒龍大神社(おおとこぬしこくりゅうおおかみしゃ)です。

御神木への御参拝並びに御賽銭は、大地主黒龍大神社へお願い申し上げます。

上記(一番最初の)写真にあるように、注連縄や木肌に硬貨等を挟み込まれるお方がいらっしゃいますが、御神木の根を踏んで傷めますし、せっかくのお賽銭が落ちることもございますので、大地主黒龍大神社のお賽銭箱へお入れいただけると有り難く存じます。

注連縄や木肌に硬貨等(お賽銭)を挟み込むこと、御神木の周囲を周回するために木の根等を踏み傷つけること等、他の動植物及びすべての自然生命の生息環境を脅かす行為は、お控えください。

御神木のお社は《大地主黒龍大神社》です。

当宮境内には楠が三本あり、神社境内(神域)に生息する意味では三本のすべてが「三柱の御神木」でもあります。

その内でも、古くから明確に御神木としている木は一番北側、鳥居から見て北北東方面の末社の一番東側にある大地主黒龍大神社の奥の最も大きな楠です。

末社二社の神様は、こちらの御神木に降臨されてから、それぞれのお社へ御鎮まりになります。神籬の役割を担う、とても大切な楠です。

その中継としての祠(ほこら)が御神木に隣接した『大地主黒龍大神社(おおとこぬしこくりゅうおおかみしゃ)』にあたります。
一願成就が有名で、特に病気平癒がよく叶えられると言われています。

大地主黒龍大神は、お姿は白蛇様で、古くから横堤の里をお守りする土地の主です。
お社をお祀りするより以前は、御神木にお姿を顕しているのを氏子樣方に多数確認されて尊ばれてまいりました。

霊験灼かで「切実なお願いがよく叶う」と口伝されて広まり、現在も多くの参拝がございます。

聖域への立ち入り自粛と生命への敬意は自然万物への基本的信仰心

前述しましたように、硬貨等を御神木の木肌や注連縄に挟み込まれているのを、特に近年、頻繁に見受けるようになりました。

個人のお願いやお望みを、御神木等からいただくご加護やご利益に重ねてお詣りするお気持ちの表れであるかとは拝察致しておりますが、根を踏まれながら注連縄や木肌に硬貨をねじ込まれるわけですから、木は傷つき痛い思いをしているはずです。

この世の万物の摂理である因果応報の基本として、種を蒔けばすべては身に返って、実に成ります。

せっかくの願をかけたお賽銭も、神様の依り代や神域でもある木肌や注連縄を傷つけ、自分本位に良かれと押し付けてしまっては、せっかくの参拝も残念でなりません。

また、注連縄は、聖域と俗域との境界を明らかにし、御神域を護るための重要な結界です。 その性質上、金銭等の俗世の品からの干渉により、結界が弱まったり破れてしまうことがあります。

さらに、御神木への過度な接触をはじめ、御神木周囲の周回などは、木の根を踏み、枝葉を折ってしまうなど、樹木の生命に大きな負担を与えます。

自らの望みを願う前に 他の存在への敬意あってこそ

ご覧になった方々には、奇妙と言われるほどの稀な現象なのですが、この御神木は、自らの意思表示として、まるで通せんぼをするかのように、幾度となく地面にほど近い、低いところに枝を伸ばします。

定期的に専門家による剪定時に手入れをしても、何度でも根元から長い枝を生やし、一部の人が通りたがる狭い隙間を塞ぎます。

この御神木は、枝だけでなく過去には、根を高く盛り上げ、明らかに神域との境界線で、それより先への進入を妨げたこともございます。当時を知る方から写真とお話を伺ったのですが、成人男性の膝上あたりまで根が隆起していました。

現実にその根の位置から奥が、本来は聖域であり、これが古き時の神域への理解があった時代であったならば、確かにその場所に結界としての区域を分ける柵などを設けていたはずなのです。本来であれば人間は立ち入るべき場所ではなく、確かにパワーは強いかもしれませんが、その神域の場が入った人間に必ずしも直接的に良い影響ばかりを及ぼすとは限りません。

将来的には、領域を分けて本来あるべき形、その位置に参拝所を設けるという形に変えるべきであるということも幾度となく議題に上がっているのも事実です。

しかしながら、現状を鑑みる上では、木々の気持ちや自然がなぜそう示しているのかということを表す以前に、神社とはなんなのかということを、運営という位置から少しづつでも守り感じていただき、各々の満ち足りた人生に気づいていただくことが大切なのだと感じます。

想像してみてください 〜 自分の望みのために他の存在を傷つけてしまうことを

木々や自然万物からの声は、確かに人間だけは耳や目には感じ取れないのは確かですが、立ち入って欲しくない、触れて欲しくない、その声にならない声を聞こうとせず、参拝者のお方から「木に触れないから枝を切れ」という、もはや本末転倒とも言えるお声もいくつか上がったことがございます。

神社や御神木は、祭や民俗的な部分を除いては、現代の一般的な認識としまして、パワースポットやヒーリングスポットなども含めた【人間の利益のための場所】としての意義に傾いてきてしまっているのかもしれません。

故に「願い」を、物理的な距離や「触れる」などのわかりやすい行為によって、ご加護やご利益をより身近に感じとり安心感を得ることを求めておられるお方が増えたのかも知れませんね^^

確かに、神社は、人間の利益のための場所です。しかし、その【利益】とは、物理的な利益なのか、霊的成長などの精神的な利益なのかを、見誤ってはならないと思っています。
物理的な事象を通して、自らを精神的に磨き上げることこそ、人間にとっての真の利益であるからです。

ご自分の望みのために、他の存在や命を傷つけてしまうことを想像してみてください。 他を思い遣る心と愛情を大切にしていただきたく存じます。

何より、自然界への敬意は神道における信仰の要ですから、願いの前には少し立ち止まって、まずは自らの行為や心を振り返ることも時には大切です。

幸せを望むご意思がおありならば、是非とも他者や自分以外の生命のあるがままを思い遣る心を、まずは大切にしていただきたく存じます。自分の幸せを優先する間は、幸せにはなれません。真の幸せは、自らが喜びの泉にならなければ叶わないからです。

目の前の存在を慈しみ、思いやり、自分から意思に歩み寄り、自分がどうあれば相手が幸せかを、決して無理をしない範囲で考える。そのような愛情こそが最も神々が受け取りやすいお心です。

また祈りは離れていてもしっかりと通じますので、御神木への祈願の際には、どうかご安心の上大地主黒龍大神社のお社へお詣りください。

さいごに

八幡宮

このような御神木のことに限らず、
自分の今日は、昨日までの自分自身が積み上げてきた一つの過程です。

自分の明日は、「今」自分自身がどうするかで変わっていくものです。

幸せを願う時、受け身の姿勢で足りないものを数えるのではなく、どうすれば「幸せを感じられる人生を送ることができるのか」を積極的な気持ちで考えてみるのも良いのかも知れません^^

最後に、どうか御神木へも、敬意を持って接してくださいますようお願い申し上げます。
お賽銭をいただける場合には、是非お賽銭箱へお願いいたします。

※ 献酒や献米、御奉賛やその他のお賽銭以外の御供物は、ご自分の判断で供えずに、どうか神職にご依頼ください。 ご希望があれば、願意やご芳名等を正式に神様へ申し上げて献上致します。

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