11月も残すところ僅かとなりましたね。七五三詣りのすでにいただいておりますご予約も、あと数名のお方のみとなりました。
今年は平常時のご祈祷が承れないにも拘わりませず、七五三詣りや初宮詣り、またその他のご祈祷なども、当宮の対策にご理解を賜り、快く応じてくださった方々、誠にありがとうございました。

当宮は、まず第一に、御本殿・拝殿は大変狭く換気も十分に行き届かない作りであることと、慎重に御過ごしになられる御方様も気兼ねなく安全にお家にいらっしゃりながら御祈願をお受けいただきたく、長い目で見てそういう過ごし方が日本全体の得策になるという思いとで、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が本格化してからは通常のご参列をお断りし、神職のみにお任せいただく【信託制(委託制)ご祈祷】という形でお願いしてまいりました。
当然のことながら、お問い合わせいただいた際にご納得いただけずに別の神社へお詣りになられたお方も数名ですがいらっしゃり、氏神であることを踏まえ、ご希望に添えなかったことを、今も心苦しく思っております。
快くご理解いただいたお方さまの中には、進んでお家でお受けくださるお方もいらっしゃいますし、御本殿の外からビニールカーテン越しにご参拝や拝観という形でお詣りくださるお方もいらっしゃいます。真摯にご祈祷をお受けくださるそのお姿に感謝の念を覚えつつ、最善を尽くして皆様の御安全を最優先に考えた対策を取れたことに安堵いたしました。
私も一児の親として、このコロナ禍で様々な思いが沸き起こります。
奇しくも今年、我が子も帯解きの祝いの歳を迎え、本来ならば着物を用意して、平常通りに・・・と一人の親として子がお腹に宿っていたころから健やかな成長に思い馳せ、心待ちにしていたことの一つでもあります。
念願の着物の仕立ても諦め、皆様と同じように信託制という形をとり、記念写真も撮らずに、私宮司のみで執り行いました。
それでも、我が子の無事は何物にも代えられません。万が一何かがあれば、悔やんでも悔やみきれないのは目に見えているからです。子供の無事だけではありません。私たち両親が無事でいなければ一人で生きていける年齢には達していないのです。
私がこの職でなければ、ご祈祷を受けることを泣く泣く諦めていたでしょう。
少しだけ心情の部分をお話させていただきますと、初宮詣りや七五三詣りの本義は、単なるイベントではなく、子の無事に感謝し健やかな成長と素晴らしい人生を歩むことを祈る儀式だからこそ、【大切な人を何としても守りたい】という真心と、【神事や人生儀礼はどのような形であれ行いたい】というご希望の両方にできる限り寄り添い、ご希望者のために安全を最優先した対策を取りたいと思い、作ったのが、委託制という形のご祈祷を始め、今の当宮の新型コロナウイルス感染症の感染対策の数々でした。
世間ではあまり問題視されていないようですが、神職も暮らしがありますし、市中感染リスクは皆さまと同じで、普段から街中で話しかけられたり、人と接する機会が多い分、皆さまよりもしかしたら高いかも知れません。
そのため、私たち神職が感染してしまいますと、とてつもないスピードで感染を広げてしまう可能性の極めて高い、そんな職種です。
そして、感染していないという保証は常に0です。
そのリスクを踏まえて、祭典授与品(ご祈祷の御神札や撤饌など)に息がかかることや素手で触ることから、ご祈祷中もヘンプ素材(神事に使う麻の一種)のマスクを着用して毎回ご祈祷前には手指の消毒を徹底して行いました。
「なぜ、ビニールカーテンを隔てて宮司さん一人しかいないのにマスクしているの?」と思われたお方もいらっしゃるかもしれませんが、感染症の対策は、感染しないことはもちろん、「もし自分が感染していたら」を前提に、他者に感染させない努力に最善を尽くさなければ終息はおろか収束すらも望めないものですので、日本全土のことを思い、まずは身の回りからできる限りのことをと徹底させていただきました。
神事とは、祭典のみならず、本質は「真心」にあると考えています。人として人を真心で思うことができなければ、神を思うことも、人を思う神の真心を汲み取ることもできるはずがありません。
ご神前でマスクなんて失礼では?と思われるお方もいらっしゃるかも知れませんが、このコロナ禍は、物事の本質について深く考える機会をいただき、当宮はその本質を大切にさせていただきました。
たった一枚のマスクですが、その思いを形にしたものでもありました。

初宮詣りのご予約では、時期を遅らせてのお申し込みがほとんどでした。
緊急事態宣言が解除されて、随分たってからのことでしたので、きっと世の中の重症化リスクを鑑みてのお申し込みであったのではないかと拝察致します。
親にとって、子の初宮詣りは非常に重要な儀式です。お問い合わせの際には、ご意向をお伺いして、慎重な親御様には、ご祈祷ではなくご家族でのご参拝をお勧めいたしましたが、今までも七五三詣り同様、精一杯心を込めてご奉仕させていただいていたご祈祷の一つでもあり、やはり大変心苦しいものでした。
しかし、親御さま方のお子様を思う親心にこんなにも直に触れられた年は他になかったと感じられたのは、大変嬉しかった出来事です。
「命や、可能な限りの健康な身体あってこそ」「祈りは命さえあればいつになっても届けられる」とこちらでもお話させていただいたことがございますが、思いを同じくしお子様を一心に思っておられる親御様たちとお話するたびに、後世に繋がる真心を感じ、とても心強く思いました。
子供達に残してあげられるもの、そのために改善しなければならないものを、私もよく考えます。
美しい地球、自然環境、健やかな社会、教養や知恵・・・たくさんありますね。
そして親となってからは初めて、こういった命を脅かすような新種のウイルスに直面して、優先事項を考えるようになりました。先述したものは全て、子供達がその手で手に入れる努力をすることもできます。しかし、命と可能な限りの健康な身体だけは、判断能力の育っていない年齢のうちは、保護者や周囲の大人が、祈りと同時に実際に守り通すことに努めなければ、保持することはできません。
私たち大人が子供達に残してあげられるのは、命を未来に繋げてあげること。
究極のところ、それしかありません。教養も勉学も知恵も、自らが求めてやっと十分に得られるものであり、始めるのに遅すぎることはなく、命さえあればいくらでも取り返せるものです。
もしその他にしなければならないことがあるなら、一人の人間としての、自然環境と社会環境の健全化だと思います。
私たちがコロナ禍で直面したものの一つは、経済に傾きすぎた不健全な社会構造でした。
「お金がなければ何もできない」お金に命を左右されるような社会を異常だと気がつき、変えていかなければ、この星の人類に未来はありません。命を育むためのお金が、お金のために危険に晒されなければならないことに疑問すら抱けない社会は異常だと気が付いた人は、この人口の何割いらっしゃるでしょう。
なぜ“未来がない”のか・・・それは、天災も他の新種のウイルスも、これからも続くものだからなのです。
様々な危機に見舞われるたび、経済のために国民に犠牲を強いる生活には、未来はないのです。
国家には、国民の命以上の財産はないのが現実です。この社会構造は、国民をコントロールしやすい代わりに、こういった危機には大きすぎるリスクを孕んでいます。
しかし、全てを政府や行政に任せるのではなく、国民一人一人も、この機会に働き方や生活自体を、外からの様々な脅威に対応したものへ移行していくことが重要であるとも言えます。
平穏な時に恵まれた時には、油断せず、次なる課題に取り組むための機会であることが教訓として得られたのなら、このコロナ禍は子供達へ残してあげられる未来の、そして大人が示す姿勢の、大きな分岐点となり得るのではないでしょうか。
話を戻しますが、お電話でのお問い合わせで、なかなかご納得いただけないお声の色の親御さんも、「私たち神職が感染していない保証もないのです」とお伝えすると、「なるほど!」とご理解くださり、それから一転して感謝の言葉をいただくことも非常に多くございました。
「自分自身が感染しているかもしれない」と常にその可能性を思えるかどうかで、行動自体が変わってくるものなのですよね。5分前は無事であっても、立ち寄ったコンビニで、すれ違った人の呼気または咳やくしゃみで、エレベーターに漂っていたウイルスで、何かを触った手で直したマスクで・・・など、どんなに気をつけていても、本当に誰がいつ感染していてもおかしくないのがこの感染力の異常に強いウイルスです。
厄介なのは、無症状でも強い感染力を持ち、呼気でも感染してしまうことなのです。
「自分が感染源にならないように」を意識した行動に変えるだけで、感染拡大は抑えることが可能です。
子を思う親心は、回り回って自らの身や身近な人を守る行動へ導かれます。
子に恵まれなくても、他者を真心で思うことができる人も同じです。
最後に生き残るのは、変化に敏感で、自らも変化することを厭わずに、困難に立ち向かう際に平和的思想で協力し合える人たちです。
目の前のことだけじゃなく、目の前の人だけでもなく、この世界は自分の行動が周りに波紋のように影響していることを知り、物質世界に囚われ過ぎない思いやりある真心にあふれた世界になることを願ってやみません。
たった数年のことかもしれませんが、されど数年です。この数年、いかに過ごすかを天から見られていると自覚しております。
このウイルスの脅威が終息するまでは、皆様の人生の前途を心から思い、可能な限りの対策を練り、常に改善を協議し、最善を尽くす所存でございますので、お正月行事も含め、今しばらくはご不便をおかけいたしますが、これからも何卒ご理解ご協力賜りますれば幸甚に存じます。
皆々様も、引き続き可能な限りの感染対策をとって、身も心も安らかな年の瀬をお過ごしくださいませ。