本日は、先日のお知らせ「ご参拝に関しまして」の追記でもある内容です。最近、不要不急の外出自粛の弛みからか、普段参拝にお越しにならないお方の休憩も増えております。
参拝(神様へのご挨拶)もなく、手水の水盤に腰をかけて飲酒したり、呑み終えた缶・瓶やタバコの吸い殻、その他最近では使用済みの紙製マスクなどのゴミを散らかして帰られることも増えておりまして、直接お話しするのも憚られる時節ですので、悩ましく思っております。
ゴミは片付ければそれで済みますが、そのお方の行いや意識がご本人の人生にもたらすものが非常に大きいからです。
神社の境内というものは、ある意味で子供達の遊び場であったり、地域住民の会合や交流の場、そしてすべての人においての憩いの場としての役割も確かにあるのだと、その環境を守ることも我々神職の管理業務でもあると、とても大切に思っております。
それこそ人間だけでなく、境内に直接でも間接的でも生息する動植物や虫や、多くの方が雑草や害虫とよぶものも勿論含めて、その土壌や外気に至るまで、そのすべてを大切にしています。
「命」の「生きる」こそ、神社(氏神・産土神)としての本意でもありますからこそ、ひとときのご休憩で、ほんのちょっとだとしても、また生きる力や喜びを蘇らせ家路へと戻ってほしいと願います。
それこそ、つかれた心身の「氣枯れ(けがれ)」を境内できれいに清めていただけたならと願うものです。
しかし清めるどころか、ゴミで汚したままお帰りになるという、悲しい事例が本日もございました。
コロナ禍で、個人的にも社会的にも、生きづらさや大変なことも多くあろうかと思いますが、つらく苦しいときに身を正すことこそ、この先の人生に活きていくものです。
よく、「良いことがない」「なぜ自分ばかり」と肩を落とされ、現状の不足感からの好転を望み、開運や招福を神様にお願いするわりには… 自分のゴミも片付けずに振り向きもせず帰られるお方がいらっしゃいますが、簡単な法則のようなもので、そもそもそういった行いをしていて、良いことがあるはずはないのです…
… 付け加えるなら、そもそもそういった行いをしていることに気がつきもしないで、実はどこにでも溢れている幸福にも気がつくはずもないのです。( …もっとも、そのお方が望む「良いこと」という状況がどんなものであるのかは、他人にはわからないものですが…)
なぜなら、万物は親心でもってそのお方が気付くまで鏡映しになってメッセージを託すからです。
良いことがない時には、万物は何を伝えようとしているのか、自らを省みると必ず未来は開けていきます。
何事にも向けることの出来る【感謝】こそ、運命を整えていくものなのです。
☆神社に来られたら、まずは神様にしっかりご挨拶をしてください。
☆それから、休憩に腰を掛けるに相応しい場所なのか、神様にはもちろんのこと、他のお方への失礼にも当たらないのかを配慮して、休憩をなさってください。
☆汚したらきれいにしてから帰りましょう。
☆神社に関わらず、ゴミはゴミ箱へ捨てましょう。ゴミ箱がなければ、必ず持ち帰って処分しましょう。
※放ったらかしたゴミは、自然には還りません。立ち去って見えなくなっただけで消えたわけではありません。必ず誰かが処分しているのです。
☆お帰りになる際は、神社であれば神様へ、休憩にお借りした感謝を申し上げましょう。
よく家の退去時に家や部屋に頭を下げるお方や、プロフェッショナルな職人やアスリートなども仕事道具や試合会場に感謝や祈りを捧げたりする姿を見かけることは多いものです。
今日のお話は、神社だからとか神様だからというわけではなく、その他の場所や物などにも同じく感謝する心で接する生き様に「感謝(謝びを感じる心)」が自然に表れるものです。
万物に神や精霊が宿るという信仰心から起こる【森羅万象への敬意】こそこの国の思想の神髄とも言える優れた感性であり道徳心です。
場所や物や時間への敬意、ひとときのご縁にもご恩を感じる心にこそ、万物は微笑んでくれるものです。
今、無事に大人になるまで生かされている私達は、今から大人になっていく方々へ未来を手渡していく役割りがあります。
私達が先人からいただいた襷に感謝しながら、より良い未来を子供達へ手渡していくために、しっかり前を向いて生きていきましょう!!
つらいときこそ、足るを知ることを思い出し、今あるものへ【感謝】で応えてみましょう^^
未来は、常に「今」から生まれるのですよ!☆


