只今、八幡宮の境内は、草達が生い茂っております。
長年、私宮司の葛藤の末、今年から境内を使用するお祭り前以外での草刈りは一切廃止いたしました。
どのような葛藤であったかを記すことに、反発もご批判もあるかもわかりませんが、是非今「当たり前」だという観念になってしまっていることが見直されるきっかけになれば有り難く思い、記すことにいたします。
私は幼少期から万物の声をよく聞きました。
動物達、植物達、石達、水、星々、たくさんの次元での目に見えない存在。最近は風や物の声も少しですが聞きます。
そんな中、世間で「雑草」と呼ばれる草達を刈り取るのは、毎回胸が引き裂かれる思いでした。
もちろん、景観はとても大切で、清々しい境内は神様もお喜びになることでしょう。
そのようなお気持ちで草刈りをお手伝いしてくださる方々には、いつも本当に感謝しております。
その一方で、別の思いもありました。
単なる景観という見た目のために、他の命を犠牲にする・・・痛みを与える・・・そもそも草達は「けがれ」だろうか・・・?
現代の人間の価値観は間違っていないだろうかと何度も自分に問いかけては、「やはり間違っている」そう感じずにいられませんでした。
このような話をすると、まずご理解いただけないのが今の現状ですが、地球は人間だけのものではないことを知っていただくために、正直に言葉にしますが・・・
先の大阪北部の地震の前日、知らせてくれたのは町中の植物達でした。
直前には風も「くるよ!」と知らせてくれました。
地震後、境内の草達が話しかけてくれました。
「いつも私達を生かしてくれてありがとう。お蔭で、ここを守れたよー^^」
と心から嬉しそうに。
本当にお蔭様で、当宮の被害はほとんどありませんでした。
草達のたくさんの強い根が、地盤を強くしてくれて守ってくれたのだと思っています。
田んぼのあぜ道も、草達がいなくては、歩くこともままならないように、草達には草達の役割りがあり、万物はみな支え合ってバランスを保っています。
刈られても刈られても、恨むことなく怒ることなく健気に奉仕の心一筋に生きる草達を、神に仕える者として尊重しようと決心しました。
もちろん、神に仕える者として・・・と申しましても、様々な価値観やお考えがあります。
正解不正解などなく、一つの価値観や考えであることをご理解くださいませ。
そして、動物達におきましても、生きるチャンスを奪わないことを同じく決心いたしました。
今、多くの野良猫達が、当宮にご飯を食べに来ます。
色々なお考えのお方がいらっしゃるとは存じます。
しかし、この万物が寄り添い生きる地球を我が物顔で所有し、他の生き物の住処も食べ物も独り占めして奪い続けているのは、私達人間です。
自分たちの暮らしのためには、食べ物も分け与えもせず排除するのが常識になってしまっています。人間だけの常識を万物に無理強いしていることに、「常識」の名のもと疑問にも思わないのはとても悲しいことです。
時々、「猫が嫌いなお方もいらっしゃるので去勢させてください」とおっしゃるお方もいらっしゃいますが、野良猫達の意見を聞くと、進んでそうしたい猫は一匹もいません。
(飼い猫は別の意思を持っている猫もいます)
アレルギーをお持ちのお方のおつらさは大変わかりますが、
好き嫌いと命の尊厳とを天秤にかけてみると、考えるまでもなく答えは出ます。
しかし、保健所に連れて行かれて殺処分されることもまだまだある悲しい世の中で、去勢・避妊という苦渋の決断をして生きる機会を奪わないでくださることや、その動物達への深い愛情には同じ人間として大変感謝しています。
現代社会の人間都合になってしまった現状では、到底共存していけませんからね。
去勢・避妊手術の強要も、生まれた命を守る現代における最善の処置であることは紛れもない事実です。
今は、確かにそうですが、未来への舵はどちらに切れば良いでしょうね。
まず、どうして、万物の内で人間は知恵を授かっているのでしょう?
「人間様」になるためでしょうか?
万物との共存のためにどうしていくべきを考えるための知恵だと私は思います。
皆、好む環境も違いますし、昼行性夜行性にも分かれています。
住み分けをきちんとできるなら、皆、それぞれが気持ちよく暮らせます。
きっと、人間への期待というご意志があってそのように神様は作られたのだと私は感じています。
そして何より、私のこの能力は全く不思議なことではありません。
水の結晶の研究では、言霊によって水が結晶の形を変えることがわかっていますし、植物も愛情をもって話しかけるほどに花や果実を実らせ、動物達もこちらのいうことを理解しますよね?
万物は、人間のメッセージを受け取っています。言いなりになるという意味ではありません。あくまで対当です。
人間だけが受け取る感覚を鈍らせただけで、人間以外にはコミュニティーも意思も心もないと思い込んでいるだけです。
木々は地球中で情報を共有しています。
動物達には動物達のコミュニティーがあり、自然との共存の社会という人間よりも進んだ理解での文明を持っています。
草達は、作物が実るために根で土を耕し、微生物や小さな生き物を育み、時に身代わりとなって守る役割りがあります。(作物の栄養を吸い取ると言うのは誤解です。詳しくはノンフィクション映画「奇跡の林檎」を是非ご覧ください)
微生物は、自然界のゴミ処理&リサイクル屋さんです。
人間がそのバランスを崩して自ら害とさせてしまっているだけで、万物に不要な存在など何一つ存在しません。
今起こっている災害の多くは、人災です。
地球のサイクルで起こるものが、災害になるかならないかは私達にかかっています。
山も海辺も、本来は他の生き物の住処や、万物の共有財産です。
人間の都合で所有して、災害から守ってくれる存在や危機を知らせてくれる存在を排除してしまえば、感覚の鈍った人間が危機を察知出来ないことは当然とも言えることです。
全ては、人間の利己的な「常識」が引き起こしていると言っても過言ではありません。
今一度、私達人間は今までの考えや価値観を見直して改めないと、排除されるのは様々な生き物を無惨にも排除してきた私達です。
神々の期待に添えるように、私達自身で未来を作っていかなければなりません。
このようなわけで、神道から発信していこう!!と、当宮の境内でも、普段は万物達との共有の場であれるように努める所存です。
どうか、人間都合でなく、神宿る全ての存在への敬意を持って、それぞれがお考え直しいただければ幸いに存じます。
万物がみな気持ちよく存在を許される世へ。
そして、人間が自然と仲良くなって、災害による悲しい出来事から少しでも回避できる世へ。
当たり前だった価値観を、共に見つめ直していけたらと願っています。^^