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2015-06-10

『信仰』とは「宗教」の外にあるもの(1)

八幡宮

私は、宗教と信仰とは別次元にあると解釈しております。

信仰心とは、感謝の心であると思うのです。
よく、「私は何も信仰していません」とおっしゃるお方に出会いますが、私の観念では「私は何の宗教組織にも属していません」が正確な表現ではないかと思っております。

親を敬ったり、子を愛したり、健康がありがたかったり、困っている人を助けたり、人や物を大切にすることの根底にある感謝の心それこそが、私は信仰心であると思います。

どんなに熱心にお参りしても、自分に不都合なことが起きた時に誰かや何かを責めては、何の意味もありません。
そんな時に自分を省みたり、御蔭様でこれだけで済んだと感謝したり、
同じことが起こっても、それをどう感じ取るのか。信仰の価値はそこにあると思うのです。

神道は、本来は宗教ではなく、自然発生した信仰や社会の在り方が形になったものです。
ですから、お祭りも土地によって様々ですし、教義や教典などもございません。
神社は、神様がお鎮まりになって、皆様のそれぞれの信仰を受け止めるところなのです。

私は、たくさんの宗教の方々にもお参りに来ていただきたいと願っております。

宗教の垣根を越えて、それぞれの宗教の良いところや知恵が、ゆるやかに繋がって、一丸となって命を育み守っていけたら、
どんなに素晴らしいでしょう。

自分と違うものを認めて敬える心。そうして他人を愛するように、どんな自分自身をも愛してあげて欲しい。
そうしてまたそのように他人を。

私が宗教の垣根を越えて目指すのは、世界の平和ではなく、
皆様が自分自身を愛し自分自身に感謝できる究極の信仰でございます。

自分自身を愛するというのは、非常に難しいのです。
自分の一部を否定してしまったり、自分の正直な気持ちを押し込めたり、自分が見えなくなったり。
どんな自分をも直視するのは、とてもつらいことです。

ですから、人と出会うのです。
時に他人は鏡となって、自分の姿を見せてくれます。
他人をゆるすことは、自分をゆるすことなのです。
こうして人は気づかぬ中にも助け合い支え合って、人生を作り上げていきます。

まずは、自分自身を愛し感謝すること。甘やかすのではなく、愛すること。
その愛は、初まりにして究極の信仰であるのだと、私は思います。

 

(続く)

 

 


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