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2016-10-15

『信仰』とは『宗教』の外にあるもの(2)

最近の風潮で、非常に気になるものがあります。

それぞれの正義がぶつかり合い、相容れぬ相手への批判が過剰になっていく傾向にあることです。

なぜ気になるかと申しますと、私が記憶してきたり史実から感じ取ったりしてきた「日本人」のあり方と随分かけ離れてきたように思い、現代の社会に狭量さすら感じるからです。

 

神道の素晴らしいところは、すべてを「お客様」として迎え受け入れる精神にあると言われます。

日本は、歴史的に見ても、仏教やキリスト教をはじめその他新興宗教に至るまで、共存できる類い稀なる国家です。

それは他でもない、神道にも表れる「日本人の寛容の精神」があったからこそ叶うものなのかも知れません。

 

そして私個人として感じるのは、神道の根本にある万物を神と拝む姿にある

自他の区別のない「和合の精神」です。

 

そして、日本のこの素晴らしい精神は、連綿と続いてきた国の形にありました。

これには神話をお読みいただく必要がございますが、

天皇陛下の御存在です。

民を元首の意向だけで支配するのではなく、民と歩み寄り共にあり「治める」お姿。

そのような唯一無二と言っても過言ではないお蔭と、素晴らしい国の形が、

私達日本人の遺伝子の記憶には受け継がれているのです。

 

日本人には、他の国にはない、寛容の歴史があります。

自分と違うものを認め、尊重できる力です。

その力は、どのようなことをも「感謝に変えられる力」です。

 

物事には、必ず多面性があります。人もそうです。

正義もまた、立場によっては悪にもなり得ます。

正義も善も悪もそれらは本来魂の指針によるもので、自らの内にあるものが映し鏡となって自らに起こります。

万物はすべて表裏一体で、

立場や見方が違うだけで善が悪となることもあれば、悪が善となることもあり、

同じ物事でも、光の部分が目立つときもあれば、影の部分が目立つときもあるのです。

 

それらは、宇宙の初め、天之御中主大神がお現れになり神産須日大神と高御産須日大神が続いてお現れになった時、外へ向かう力と内へ向かう力とによって世界は生まれたと読み取ることができます。

自他に分けると、相反する勢力は悪になってしまいますが、全体を見るときすべてはバランスとなってそれぞれの役割を担っています。

その真理に触れれば、きっと穏やかに自らの役割や進むべき道が明らかになるのではないでしょうか。

たった一つの面だけを見て批判し、排除してしまっては、ただ見えなかっただけの多くの面の可能性をも失ってしまうばかりか、その存在価値さえも奪ってしまいかねません。

 

日本は、もっともっと精神の豊かな国です。

次世代の素晴らしい可能性を持つお子達が、皆様に寛容に見守られながら健やかにお育ちになり、

それぞれがそれぞれを思いやり、愛情を育み合い、新時代の到来にこの国の豊かな精神を取り戻していかれることを心から期待し、

私も微力ながら道しるべとなれるよう努力し、皆様と共に見守っていきたいと思います。

 

今日は、和合の精神からの信仰のお話をさせていただきました。

最後までお読みくださり、誠にありがたく存じます^^

 

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