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2019-04-10

『信仰』とは『宗教』の外にあるもの(3)

私の古くからの夢に、「すべての人々のためにある宗教が手を繋いで、それぞれの役割りを敬い合いながら、友愛で結ばれる架け橋になりたい。」というものがございます。

大きな大きな夢ですが、その夢を実現するために、先ずは同じ志の友と手を繋いでいくことをしています。

 

 

一神教の多くは、信仰の対象の神様が唯一の尊い神としての教えがあるため、熱心な信者様ほどなかなか気持ちを外へ向けるという事に抵抗をお感じになるかもわかりませんね^^

 

安心していただきたいのは、私は「宗教を一つにしよう」という思いでこういったお話をしているわけでは決してありません。

 

それぞれの大切な信仰を守りながら、尊重しながら、お互いがお互いらしく輝きながら和を成していく方法は必ずあります。

宗教を問題にせずともすべての人が感性や感情、思考、役割り、人生の喜びなどにおいて唯一無二の存在であるのですから、何か人生に迷った時つまずいたとき道しるべが欲しいとき、自分の感性で感銘を受ける宗教の教えを仰ぐというのは一つの尊重されるべき方法です。

もちろん、目にした広告やテレビから飛び出してきた言葉や歌や映画から受け取ったメッセージを心におさめるという方法もあり、これら万物の励ましを受け取ることは、多くの人が意識せずとも自然にしておられることでしょう。^^

自分の心が軽くなり、生かされる喜びを感じるために、自分にあった信仰を見つけられることは、とても幸せなことです。

 

どんなに偉大な教えも、万人にぴったりと合うわけではありません。

【人々の魂の真の幸福のために】と願うのであれば、各々の自由意志を尊重し合い、他者と認め合い、ゆるし合い、信じ合い、讃え合い、そして頼り合うことが、とても大切になってきます。

これは、宗教に限らず、個人間でも、国家間でも言えることです。

 

競い合い、争い合うために、宗教が存在しているわけではなく、

その正義の仮面を被った攻撃の道具として、神仏は人間に期待しているわけではありません。

美しい調和の中で、生きる喜びに満ちながら精進していくことが命の自然な姿です。

 

一般に「悪魔」と呼ばれる存在も、実は誤解されていて、天使は天上からメッセージを投げかけてくれる存在であり、悪魔は人々と同じ地に降りて親身にお叱りや励ましをくださる存在です。

・・・この経緯をお話ししますと脱線した上に長くなりますので、別の機会にとある物語として大天使ルシフェルがルシファになり、また大天使ルシフェルに戻られるまでのことをお話ししたいと思います^^

 

この宇宙(世界)の中で、人の心にある”利己的な心”以外は、完璧な調和で満たされています。

この”利己的な心”を少しずつでも手放し”利他的な行動”を選択していく”努力”をしていくことが「精進」です。

 

自分の正義を頑に通す、押し付けるというのは利己的な心によるものです。

目の前の人に対して、自分から寄り添い、思いやりながら歩み寄る。そうしていると、自分の学びにも繋がっていきます。

常に相手の幸せを考える。それが利他の心です。

 

私も一人の人間として、すべての人々の真の幸せを心から願っています。

本気でそれを叶えようと思ったとき、そのためには他宗教を含めたすべての存在と協力し合わないと成し遂げられないことを痛感します。

その協力とは、【目の前の人をゆるし、愛し、思いやり歩み寄ること】このたった一つのことなのです。

 

新たな時代に、こういった調和の心で、宗教間においてもあたたかく手を取り合い励まし合い敬い合えるように、目指していけたらと思っています。^^

 

 


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